2017年11月15日

きりもみ(二話)

kirimomi520

二話 マニアック


 美希は奈良原書房から五分ほどの距離に住んでいた。駅からなら七分かかる。賃貸のワンルームで独り暮らしにはちょうどいいスペースだったがピアノを置くことを考えると少し狭い。アップライトタイプよりも奥行きのない電子ピアノ。住む部屋に生徒を入れるつもりもなく、あくまで自分の練習のため。部屋そのものも音を通してしまうから大きな音の出ないものでないと苦情が出る。
  一度部屋に戻った美希は、着替えにクローゼットの前に立ち、吊された服を見ながらどうしようと考えた。智江利と二人きりとなると、性的な文章を書く人だけに怖くなる。いいや智江利のことだけじゃなく、これまでもこういうことがあると決まってつまらないスタイルを選んでいた。男のいない飲み会であっても飲み屋なんて女漁りの得意な輩の集まるところ。そんな気がして無意識にガードしてしまうのだった。

  ちょっと考え、思い切りミニを穿く。Tシャツに夏のジャケット。まだまだ暑い日が続き、それで充分だと考えた。それから髪をなおして化粧をチェックしようとし、思い立って下着の替えをコンビニのレジ袋に突っ込んでショルダーバッグの底にねじ込んでおく。
  なぜそこまでするのか、なんとなくという予感のレベルだったのだが、今夜は泊まりになるかもと考えた。横須賀はそう遠くはないけれど、これからだと帰りを考えると向こうに長くはいられない。若い女の陶芸家がどんな暮らしをしてるのか。そしてそれより性的にマニアックなものを書ける女の生き様を見てみたい。智江利となら友だちになれそうだと思うのと、離婚から、ほんの少しの寂しさがつきまとう自分を感じていた。
  そして結局、デートのようなスタイルができあがる。それなりミニにヒールの低いサンダル。近頃ちょっと伸びすぎたサラサラヘヤー。まあこんなもんでしょと思い、出際になってクルマに乗るんだと気づく。シートは沈みスカートが上がってしまう。

  ううむ、ま、いっか。女同士だ。

  美希は自分でも驚くほど性的な話をしたがっている自分に気づく。智江利の文章が頭の中でグルグルしている。そういう話のできる友だちが周りにいない。酒なんてまっぴらだから話すチャンスもないわけで。
  正体不明の淡い期待を胸に本屋へ戻り、さて出ようとしたときに、智江利のスカートのほうがさらに短く、しかも智江利は素足。引き替えて、解放したつもりでも私はパンストを穿いてしまったと美希は思う。学生の頃のコンパで洋子と並んで歩いたとき、かなりなボディコンシャスを素足で着こなす女を見ていて、とても勝てないと思ってしまった。口惜しい気がしてならなかった。そんな記憶が蘇ってくる。あの頃の私には決まった彼がいてくれて同棲していた。派手にすることないでしょうと言い聞かせていたのだったが、いざ男たちに囲まれて視線が向こうへ行ってしまうと寂しくなる。

  クルマに乗る。智江利のクルマは赤いポロ。少し前のモデルでリアのバンパーにちょっとコスった傷がある。ポロはシートが固めにつくられ思うほど沈まない。しかしそれでもスカートが膝上二十センチ。運転席の智江利はもっと短く、いまにも下着が見えそうだった。白く綺麗な脚線。その点では私の方が若いんだし負けてはいないと考えた。いいや考えたい。私はどうして弱気なのかと嫌になる。会う度ちょっとの温度差がバウムクーヘンみたいな層をつくっていくんだよ。洋子との間に地層のような隔たりができていく。女を生きる時代が違うみたいなギャップ。エッチに対して引っ込み思案な私って性的化石? と思ったものだと、やっぱり洋子の姿が目に浮かぶ。

 「マニアックじゃない? あたしの書くものって?」
 「マスターなんか言ってた?」
 「あたしのブログ教えたよって。だから訊いた」
 「うん、それはそうかも。でも好きよ、素直に書いてるって感じられる」
 「そう?」

  いきなり胸が苦しくなった。智江利の家までのルートを覚えておこうと思って乗ったはずなのに、市街地の景色が白くなってとんでしまった。
 「自虐からはじまった。陶芸もそうなんだけど文章書いたって才能ないし、
ダメな女って自分で思うと腹が立って虐めてみたくなるんだもん」
 「わかるよそれ。私も似たようなものかな。ピアノは弾けるし教えることで生きてるけど、だから何って感じなんだし」
 「離婚したんですってね?」
 「した。やっぱりそれよ、決定的なのは。自分を責めたもん。おまえがダメだから終わっちゃったのよって。器というのか、小さかったかなって思うしさ」
 「そうなんだ?」
 「強い人でね。キレる人って言えばいいのか、論理的で合理的で、こうこうこうだから、こうでいいじゃん、みたいな即決即断」
 「うわぁ、あたしダメだわ、そういう男。能力あるのはいいけどさ、ちょっとぐらい弱くないとあたしの居場所がなくなっちゃう」
 「まさにそこ。居場所がないなって思ったとき彼が遠くに感じてしまった」

  市街地を抜けて横浜横須賀道路。横須賀より逗子で降りたほうが近いという。
 「美希って呼んでいい?」
 「もちろん」
 「うん。あのね美希」
  美希はその声をたどるように目を向けて、そのとき前を見て運転する智江利の綺麗な腿が気になった。割り開かれて犯される姿を想像する。
 「変態なのよ、あたしって。きっとそうだわ。家族を一度に亡くして目の前が白くなった」
 「そうなんですってね、交通事故だったとか」
 「カーブでガシャンよ。相手はダンプ、正面衝突でほとんど即死だったって。それで実家がもぬけの殻になっちゃって、お金なんてもらっても、いきなり独りじゃ無理ってもので」
 「うん」
 「で、なんとかしなくちゃって思っても、そのときあたしはホームセンターに勤めてて」
 「ホームセンター?」
 「そよ。最初はフリーターだったんですけど、忙しくなってきて猫の手も借りたかったみたい。社員にならないか。ま、いっかみたいな感じでやってきて。女なんて、そのうちどうせ捕まっちゃう。嫁ママ婆って行き先は決まってるって思ってた」
  美希は可笑しい。智江利には言葉のセンスがあると思う。

 「でね、あたしいま三十二」
 「私は三十」
 「あっそ? 三十? 若っ」
 「智江利さんだって若いよ」
 「さんはいらない。智江利さんて言われると『はぁい』って応えたくなる。智江利って呼ばれると『はい』って素直に言えるから」
 「うん、じゃあ智江利」
 「はい女王様、ってさ、そんな関係にも憧れたのよ。親が消えて独りになって、あたしって誰のために生きてるのって思ってしまった。あたしのためだけに生きてるのって。誰かのために生きてみたいって」
 「うん」

 「で何だっけ?」
 「は?」

 「あ、そっか。でね」
 「うん。ふふふ可笑しい」
 「可笑しいかな?」
 「いいわよ。で何だっけから」
 「あ、そうそう。で三十路もひたひた忍び寄り、そろそろかなって思うようになったとき、いきなり独りになってしまった。結婚とか、もうどうでもいいやって思ったのよ。娘ってやっぱ親にドレス姿を見せたいじゃない」
 「うん、わかる。それはそれはそうかも」
 「そのへんからなのよ、おかしくなったのは。変態的だったのはずっと前からなんだけど、どんどん自虐的になっていった。そういう文章を書き出したのもその頃からで、隠してきたものを曝け出したい、ほんとのあたしはこうなんだって吐き出さないと苦しくなってく」
 「妄想もふくらむし?」
 「それもある。家の中をスッパで歩くなんてできなかったんだけど、それにしたって親がいなけりゃどうってことない。夜中にスッパで外に出たり、外でエッチなことをしてみたり。そうするとね、もう一人のあたしが言うのよ、ほうら気持ちいい、もっと苦しめ馬鹿女って」

  馬鹿女・・それは智江利のブログにしょっちゅう出てくる常套句。私はもう一人の馬鹿女を責めてやりたい。智江利のブログはそうしてSとMを行き来する内容が多かった。けれどそれが私に近いと美希は感じ、だからのめり込んでいけたのだ。誰にでもある素直な感情を素直に書いている。
 「ブログにあったことって、マジなん?」
 「マジ。行けばわかるけど、ウチってヒイ爺さんのときからで、ほんと山の中なのね。夜なんて猫さえいない。裸で出ていろいろしたし、そうすると壊れたみたいに濡れちゃうの。許して智江利、まだまだよ馬鹿女って、二人のあたしがせめぎ合ってる」
 「それで感じる?」
 「感じる。もうめちゃめちゃ。エッチなオモチャで虐めてやると気が遠くなっていく。智江利のために馬鹿女は生きてるって思えるの」
 「病的だって思わない?」
 「と言うか、人ってそんなもんだと思うのよ。無秩序に生きていたい本音があって、それを社会に合うようつくっていくのが教育。皆が同じ顔してりゃ安心できる。だからみんながつまらなく、そこに気づいた人だけが幸せになってくの」
 「私も気づいてないみたい。幸せじゃなかったし」

 「嘘よそれ」
 「え?」
 「見て見ぬフリ。みんなそう」

  美希の脳裏にまたしても洋子の偶像が浮き立った。それは憎悪。密かな思いであっても、くっきりとした憎悪。お尻の目立つタイトを平気で穿いて、夏にはTバックのラインが透ける。何よ馬鹿者、エロ女。よくそんなカッコができるもんだわ。お尻を振って胸の谷間も平気で見せて、私をヘンな気にさせる。ムカつく。見せつけるように、いい女になりたがる。どうせ私はつまらない女です! 思考順路は決まってそうだし、だから洋子が大っ嫌い。美希は哀しくなっていた。

 「ねえ智江利、訊いていい?」
 「いいよ、何だろね?」
 「オモチャってどんな?」
  それはブログに書いてあることで、ごまかしてもダメ。ほんとのことを言ってくれるか試したい。そう思って美希は訊いた。
 「ディルド、突っ込むバイブ、電マ、浣腸、洗濯ばさみもあるし、小さなローターとか」
  確かにそう書いてあったと美希は思う。
 「それをマジで使ってみたんだ?」
 「使ってみたじゃなくて使ってる。ほとんど毎日。ほとんど毎日イキ狂ってもがいてる。鞭なんて、そこらの枝を折ればそうなんだし、だけどそれは自分じゃできない。やってみたけど痛くてさ」
  あたりまえだよ馬鹿女。そのとき美希はそう思い、同時にちょっとほっとする。そういうことを素直に言い合える友だちになれそうだ。

 「なんだか素直でいられそう、智江利といると。じつを言うとね」
 「うん?」
 「あのブログ、隅っこまで読んでるよ。わぁぁ凄いって思いながら言葉の中に入っていくと、いつの間にかヘンな気に」
 「濡れる?」
 「うん」
 「オナニーとかは?」
 「した」
 「だったら嬉しい、涙が出るほど嬉しいかも。女同士って、じつはほとんどわかり合えない。わかり合えるのは浅いところ。ネットにはそれがない」
 「それがないって?」
 「自分を閉じ込める鉄格子。リアルだと、どうしたって越えられない部分があるでしょ。自分をいい子にしておきたい。私は違う、そうじゃないって思っていたい」
  それは、あの頃、似たようなことを洋子にも言われていた。そんなに自分が可愛いの。過保護だと思わない。そんなんじゃ損するよ。 まともにそう言われてカッとしたのを覚えている。

  智江利は言った。
 「でもそれはしょうがない。もう一人の自分の方が誰だって強いから。だけどそこが問題なんだよ美希。もう一人の自分てどっちなんだよ。アクセルかブレーキか。それが問題なんじゃない」
  あなたは常にブレーキね。それもまた洋子に言われた言葉だった。
  つぶやくように美希は言った。
 「だったらどうすればいいっていうの。妄想ばかりがふくらんじゃって悶々とするだけじゃん」
 「そうよ妄想。でもね美希、妄想こそが脱皮の蠢き。チョウチョがどれだけ苦しんであの姿になると思う。女はほとんどサナギのまま腐ってく。私はダメだと自分を追い詰め、わかってくれないと他人を責めて、どんどんおかしくなっていく。失礼だけど離婚して、それでもサナギのままなのかしら。あたしはそれが嫌だった。だから仕事も辞めて独りになった」
 「だからって自虐なわけ?」
  このとき美希は、ムッとするより、素直な問いとしてそう言った。

 「そういうことってなかった? 虐めるみたいなオナニーとか、拷問みたいなアクメとか?」
 「それができたら幸せだろうなとは思ったよ」
 「うん、一歩前進?」
 「はい?」
 「否定するのがそこらの女よ。だけど嘘に決まってる。デートってことになると勝負パンツを選んでおいて、それって脱がせて犯してってことじゃない。ちょんちょんのミニスカ穿いてさ」
 「それは女心なんじゃないかしら。脱がされれば貪欲なのはわかってて、でもだから最初ぐらいはと考える」
 「うん、あたしだってそれはそう。 あ、」
 「何よ?」
 「ある人がこんなことを言っていた。男の人よ」
 「うん?」
 「女の花がなぜ股ぐらに下向きに閉じているのかわかるかって?」
 「うん?」
  美希は内心穏やかではない。明解な答えを突きつけられそうな気がしたからだ。
  智江利は、運転しながら横目を向けて言う。
 「誇るように上を向いて咲きたくて、ヌラヌラ濡れる牝の本性を見せつけたくて、なのにそれを許す相手を待たなければならないからだ。だから許されなくて苦しむんだと」
 「むずかしいよ、哲学みたい」
 「だったら自分で咲かせてしまえ。本性を許す者だけが近寄ってくるはずだって」

  そんな話になった頃、クルマは高速を降りて緑を縫う道を走っている。智江利の家へのルートなんて、美希はほとんど覚えていない。

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