2019年02月21日

新作レズ官能 追いつめられて

lez520
一話 雨の鎌倉


  閉塞する日々から逃れたい。プラス思考のリセットではなく抑圧される日々から脱したい。切望。少し前までそんな思いはあったのだが、いまはそれさえ失せている。
  このままじゃ腐る。せめて気分をリセットしようと、美希は、学生時代に思い出のある街、鎌倉へ行こうと思い立つ。
  九月なかばの金曜日。
  もちろん平日なのだが、今日から土日を含めた三日間、社員旅行で会社はクローズ。四ッ谷にある中堅アパレルメーカー。美希はパートで経理をこなす。 今度の旅行もよろしければと誘われたのだが辞退した。社員との距離感を保っておきたい。離婚して、とりあえずの腰掛け程度。先のことはそのうち考えたいと思っていたし、それよりも社員の中に近づきたくない男がいた。
  美希はいま三十二歳。大手自動車メーカーの総務でOL、二十九歳で職場結婚。けれども昨年、三十一歳で捨てられるように離婚していた。子供を持つ前だったから独身へリセットできればよかったのだが、見定めたはずの愛を失った失望は、美希を閉塞の中へと追いやっていた。

  懐かしい。鎌倉から北鎌倉へ、その逆もあったのだが、ここは学生時代の親友、久美と明江の二人と三人で歩いたものだ。どちらもが卒業を待つように帰郷した。久美は青森、明江は香川。いまではそれぞれ子供を持って幸せに暮らすはず。
  見覚えのある道筋だったから、歩き出してすぐ、来るんじゃなかったと思ってしまう。三人の中で私だけが取り残された。言いようのない口惜しさが充満しだしてため息ばかりが漏れてくる。考えてみれば三人の中で私はいつも追従する側。内向きだったと思うのだ。
  鎌倉駅に着いたとき、空を雲が覆いだし、またたく間に黒雲に変わっていってバラバラ大粒の雨が降り出した。予報では夜になって降るはずだった。九月のなかばで夏空と秋雨がせめぎ合う。もしやと思って折りたたむ傘は持ってきたけど滝のような雨の中では使い物にならない。
  ちょうどそのとき通りすがったカフェに飛び込む。幸い今日はジーンズミニでヒールサンダル。パンツだったらびっしょりだった。降り出したタイミングでカフェを見つけた。入ったとき空席があったのだが緊急避難で満席。美希はタッチの差で窓際に席をとり、ガラスエリアに叩きつけるすさまじい雨を、物想うように見つめていた。

 「お待たせしました、こちらミルクティになります」
 「あ、はい」
  紅茶になれるものならなってみろ。ふとそう考えてハッとして我に返る。
  そうやってミルクティが運ばれて、雨から視線を切って店内をふと見たとき、美希は胸が苦しくなった。
  窓際には二人掛けのテーブル席が四つ並び、すぐ隣りのテーブルにどこかで見たような・・と思ったとたん、その女性の素性が思い浮かぶ。
  小柄でスリム。恥ずかしいほど短い黒のミニスカート、シルバーラメのヒール。アイボリーカラーのタンクトップに生成りのジャケット。特徴的だったのはブルーシルバーに染めたロングソバージュ。彼女はいまだにその髪型。ヘヤースタイルが違っていたら見分けがつかなかったかもしれない。

  存在に気づかれて見つめられる視線に気づいたようで向こうでも眸を上げて見つめてくる。キュンとしながらも美希は眸をそらせなくなっていた。
  相手がちょっと笑う。美希も浅く頭を下げてちょっと笑う。そしてそのとき、満席になっていた店内に新たなカップルの客が来て、その人はそちらに眸を向け、さっと席を立ったのだった。
 「ご一緒によろしいかしら? こういうときは相身互い」
 「あ、あ・・はいどうぞ」
 「ありがとう」
  自分のテーブルを空けて後れてきた二人に席を譲り、美希の前へとやってくる。立ち上がるとほんとに小柄。それでいて女性のスタイルを誇るようだ。

  女は微笑んで眉を上げた。
 「私のこと、ご存じのようよね?」
 「あ、いえ、もしやと思ったもので。カンナさんですよね?」
 「うん、そうよ、だけどもはや知る人ぞ知るって存在かもね。見分けてくれて嬉しいわ」
  神流夏美(かんな・なつみ)、年齢不詳。
  そばで見て、アラフォーあたりかと美希は感じた。

  もともとは溶かしたロウで絵を描くワックスアートで名を出した。しかし当時の画壇から、絵の具をぶちまけて描く手法をロウに置き換えただけということで酷評され、しばらくのうちに表舞台から消えている。
  そんなカンナの作品を美希が最初に見たのは学生時代。表参道であった個展でのこと。小柄ながらスタイルがよく、その頃からヘヤースタイルが変わっていない。画壇の堅物がどう言おうがカンナは作品を描き続け、小さな個展もやっていたし、それよりも後になって、私は同性愛者と告白したし、マネキンよりもずっとリアルな等身大のドールを用いた心理的なセラピー・・はっきり言って性的なセラピーを行うことで一部の人々に支持されるようになっていく。
  奇人、変人、ペテン師、はては変態、陰獣にいたるまで、世の中から酷評されても、逆に平凡を笑い飛ばすように平然と生きている。
  常識的な尺度を逸脱した生粋の芸術家。というより自由奔放を絵に描いた、内向的な私とは対極を生きる人。どこか憧れを感じる女性・・美希はそんなふうに思っていた。
  しかし、こうして面と向かうと怖くなる。悪魔的な性世界へ取り込まれてしまいそうだ。鳥肌の立つ想い。美希の頬は微妙に紅くなっていた。

  カンナはガラスに眸を流した。
 「それにしても凄い降りね」
 「そうですね嵐みたい。カンナさんも雨宿り?」
 「ううん違うよ、モデルのオーディションだったんだ」
 「オーディション?」
 「ワックスアートのボディペインティングと言えばわかるかしら。すぐ近くに古くからの仲間がいてね、このへんの子たちに声をかけてくれたのよ。プロはスレてて使いたくないことと、モデルクラブの方でも恐れおののいてNGなんだ。肌に傷でもつけられると思ってる。SMじゃあるまいし、バカみたい」
  眉を上げて笑うカンナ。美希はこれまで経験したことのないほどハラハラしていた。さっそく淫靡なニュアンスを感じたからだ。
  美希は沈黙を保っていられなく、おそるおそる訊いた。
 「でも溶けた蝋ですよね?」
 「そうよ、もちろん。低温蝋燭だから火傷するほどじゃないし、そのへん私だって考えてるから」
 「それでモデルさんは素人さん?」
 「そういうこと。芸術を志す子なんだもん、そのへん理解してくれてる。二人ともおっけということで」
 「個展のため?」
 「そうそう、原宿の小さな画廊ですけどね」
  だったらモデルは生身で晒される? 想像するだけで心音が乱れてきそう。
 「飲んだら」
 「はい?」
 「冷えちゃうよ」
  美希の目の前にある花柄のティーカップに眸をやって微笑むカンナ。
 「あ・・そうですね、ぼーっとしちゃって」

  そしてカップを手にしたとき、ちょっと震える手元に笑ってカンナは言った。
 「で、あなたは? お寺めぐり?」
  美希は学生時代の思い出を告げて、この雨ではダメだと苦笑した。
 「お名前は? 一方通行じゃ不公平よ」
 「はい、美希です。相原美希」
 「私はジャスト、あなたは?」
  四十ジャスト? 話しぶりからも歳なりのキャリアを感じたものの、ルックスという点でカンナは若い。
 「三十二になります」
 「あら若い。二十代かと思ったのに」
  カンナは微笑み、しかし言った。
 「プチ傷心旅行って感じ? 住まいはどちら?」
 「四ッ谷です」
  見抜かれていると思ったし、見抜けるほど私は弱っているんだろうかとも考える。
 「まあいいわ、立ち入ったこと訊いちゃった、ごめんね」
 「いいえ別に」
 「思い出もこんな嵐じゃしかたがない。クルマすぐ裏。私は六本木、四ッ谷なら遠くないから乗って行く?」
  ご遠慮させていただきますとこのとき言えれば日々に変化は訪れなかった。
  圧されると退いてしまう。情けない癖だと美希は思う。

 「じゃあねマスター、また」
 「おぅ、またな」
  カンナと中年の店主との間を行き来した美希の視線。
 「この店じつは常連なんだよ。さっき話した友だちとは二十年来の付き合いでね、ここへ来ると二人でよく顔を出したんだ。さあ裏よ、行こ」
  立ち上がると自分より小さなカンナに背を押され裏口から外に出る。店の裏手が駐車場になっていて二台停められ、その両方が塞がっていた。一台は軽四輪のワゴン車で、もう一台が巨大なジープタイプの四輪駆動。ボディカラーはダークグレー。カンナはそのジープタイプのクルマに乗り込んだ。小柄でセクシーな彼女のイメージに合わないような、それともぴったり合うような、不思議なミスマッチ。
 「いいわよ乗って」
  駐車場にはトタン屋根。バラバラ叩きつける雨が滝のように流れていたが、助手席側は屋根の下。大きなドアが開けられてもステンレスのステップが高く、ミニスカートでは脚が開かない。はじめて乗る野性的なクルマ。乗り込むとカンナは笑った。
 「まくっちゃえばいいのよバカね、女同士じゃん」
  エンジンスタート。ディーゼル特有の身震いするような振動が大きなボディを震わせた。
 「すごいクルマですね」
 「そう? ランクルよ、知らない?」
 「走ってるのは見たことありますけど乗るのははじめて」
  ヒップポイントが高くて、世の中を見下ろす眸の高さ。トラックに乗り込んだ気分がする。
 「行くわよ」
 「はい」
  アクセルを踏み込むと、まるで戦車が動き出すような重厚感。やはりイメージに合わない。美希は運転に集中するカンナの姿を横目に見ていた。カフェの固い椅子でもスカートは短すぎる。クルマのシートはヒップを沈め、デルタラインぎりぎりまで白い腿を晒してしまう。

 「素敵です、カンナさんて」

  思わず口をついた言葉。思ったままを素直に言った。
 「どうしてそう思う?」
  声はしても視線は前を向いたまま。フルスピードのワイパーが追いつかない激しい雨。美希は言った。
 「だって・・うわっ」
  舗装路のギャップを超えてハードサスが軽い体を跳ね上げた。
 「あっはっは、飛ぶから気をつけないと。柔なクルマじゃないからね」
  豪快に笑うカンナを見ていて思い続けた憧れが決定的なものになっていく。

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