2019年02月21日

新作レズ官能 追いつめられて

lez520
二話 誘惑の密室


  鶴岡八幡宮の横を抜けてひと山越えれば高速イン。東京に向かって走り出してすぐ激しかった雨は落ち着いた。間欠ワイパーで充分なほどの弱い降り。ドライバーに視線を外すゆとりを生んだ。
 「カーウオッシュレインだわ、おかげでピカピカ」
  グレーメタリックの大きなボンネットがキラキラしている。整備された道に出てしまえば思ったり静か。オフロードで食いつくブロックパターンのタイヤのゴォォと響く音も豪快に感じられて心地よかった。
 「美希はクルマには乗らない?」
  美希と名を呼ばれてキュンとする。運転席と助手席の距離感は、揃って同じ向きを見ているということもあってか、先ほどカフェにいたときよりも近く思え、それでいて正対していないから気が楽だった。
  美希はちょっと笑って言った。
 「旦那のに乗ってましたが、いまはもう」
 「それって別れたってこと?」
 「バツイチです」
  カンナは、なるほどねというように眉を上げてうなずいた。どおりで冴えない面色だったわけ。前を見ながらカンナは言った。
 「言葉はないわね、勝手に苦しんでればいいことよ。私を知ってるならわかるでしょうけど結婚がないから離婚もない。その分、気楽にやってるわけよ。わかるでしょ?」
 「それは、はい。私もしばらく男の人はいいかなって・・」
 「男性不信、自信喪失、その次くるのは自暴自棄ってお定まりのパターンがもっともダメよ、しっかりなさい」
  と笑っておきながらカンナはちょっとうなずく素振り。何らかのプランが生まれたようだった。

  ぼんやりとした憧れがきっぱり憧れに変わっていて、このとき美希は、かすかな性的恐怖を感じつつも、このまま憧れ続けていいものか試してみたいと考えた。これまでに知る女たちとどこがどう違うのか。見せかけだけでじつはという女がほとんどだろうと思うからだ。
  しかし言えない。心の半分も明かせない性格が嫌になる。
  カンナは言った。
 「明日から休みよね?」
 「はい」
 「今日はどうして? 平日よ?」
  社員旅行の話をするとカンナは声を上げて笑った。
 「なるほどね、いまだに家族的ムードがいいんだね、この国は。私はまっぴら。気持ちはわかるわ。わかった、じゃあ美希、このままウチにいらっしゃい。私も明日からオフだから」
 「ご自宅にですか?」
 「気楽な場所よ。アトリエであり私にとっては解放区。ビアンの棲み家なんて入ったことないでしょう? いいきっかけになると思うわよ」
  鳥肌の立つような説明できない震え。断れという自分とそうでない自分が交錯している。断れば人生に変化なし、行けばきっと何かが変わる。勢いで行ってみるしかないだろう。きっとそこには憧れの正体があるはずで・・と考えてしまう私がいる。行きたがってる。一度ぐらい外向きになってみよう。
  しかしそれからの車中、話したこと聞いたこと、時間のすべてが右から左へ素通りした。

  六本木。

  というか麻布十番との境のあたりにカンナが住むマンションは位置していた。九階建ての最上階、907号。3LDKの空間なのだがLDKがかなり広く、キッチンもスキのないほど整理された好感の持てる暮らしぶり。こういうところのダメな女はすべてに崩れているもので。
  チャコールグレーフロアの落ち着いた空間だったのだが、まずLDKに大きな額が立てかけられて、やっぱりあったワックスアート。壁にはそれの小さなものがいくつか。ブラックレザーのロングソファ、ロータイプの白いテーブル。テレビはなく、代わりにかなりなオーディオセットが置いてある。一部屋は寝室だから覗かない。一部屋は雑然としたアトリエ。と、そこまではアーティストらしいムードの住まい。
  しかし残る一部屋へ案内されて美希は声を失った。
  壁もフロアも目の覚めるパッションレッド。扉の内側までが赤い。八畳ほどの広さの部屋で、その中に同じく真っ赤なロングソファと、等身大の白い女性の人形・・マネキン? いいやマネキンよりもリアルに、ソフトな素材で作られた全裸のドールが立っていた。
  背丈はちょうどカンナほど。髪はブルーグレーでショート、化粧も見事に整えられて下腹には黒い翳り。女の生々しさをそのままコピーしたようなセクシーリアル。カンナによく似た全裸の女性がそこにいると錯覚させるものだった。

  驚きのあまり声もない美希に向かって、カンナは笑った。
 「どう? リアルでしょ?」
 「ええ、すごく。生きてるみたい」
  呆然と見とれていた。
 「蝋人形じゃないわよ、シリコンゴムでできたもの。ここはある種のセラピーのためのお部屋なの」
  やはり実際にそういうことをしていたのか? 性的な秘め事を?
 「それは催眠術みたいな何か?」
 「違うわよ、私は魔女ではないからね、どちらかと言えば洗脳かしら」
  と、そう言って眉を上げると、カンナは背を押してLDKへと引き戻し、自分は一度寝室へと消えて、ほどなくして生地の薄いピンクのスウェットを手に持って現れた。
 「これに着替えて。気楽にしてていいからね。私もちょっと着替えてくる」
  唖然とするだけで声も出せない美希。カンナの眸をぼーっと見ている。
 「おい起きろ、ぼーっとしちゃって」
 「え・・あ、はいっ」
 「着替えて座ってな。お茶でも淹れるから」
 「はい」
  蛇・・それも妖しい白蛇に睨まれた美希。抗う力を失っていた。

  似たようなライトグリーンのスウェットに着替えて出てきたカンナ。美希は頬が熱くなる思いがした。与えられたスウェットは夏物で生地が薄く、上は半袖だが下はフィットするショートパンツ。カンナのスタイルもそれのライトグリーンであって、下着同士で向き合っている気がしたからだ。
  若干ルーズフィットのアッパーが救いといえば救い。ライトグリーンのカンナに黒いブラと黒いショーツが透けて見え、ピンクの美希に青いブラと青いショーツが透けている。それだけでも異質の人生を体験している心持ちになれている。
  乱れる息を隠そうとするから、無呼吸そのうち荒い息。そんな様子にカンナは笑った。
 「怖いんでしょ? あははは。そうよね、私はビアンでタチにもなれればネコにもなれる。この部屋に二人っきり、下着の透けるスタイル。自信を失ったいまの美希では怖いはず。だけど誤解しないでちょうだいね、私はしごく常識的に生きてるつもりよ。気のない女をどうにかしようとは思わない」
  その気があればすぐにでも・・と言われたような気がしてならない。相手が男であっても女であっても踏み出すのは私の意思。そう思うと同時に、このとき美希は『勝手に苦しんでいればいい』と言われた突き放すような響きを思い出していたのだった。

  オープンキッチンに立ちながら、カンナは言った。
 「時間が解決するって言うけど、すっきりリセットできるとは限らない。ひずみを隠したまま、とりあえず立ち上がったというだけのもの。だから女は同じ過ちを繰り返すし腐ってく」
 「どうすればいいの?」
 「突き進むしかない。飛び込んで溺れれば泳ぐしかなくなって陸で受けた傷にかまってられない。さあ紅茶、できたわよ」
  と言って、キッチンを隔てる白いカウンターにトレイに載せたマグカップが二つ。パウンドケーキの袋が二つ。美希がソファを立ってトレイを持つと、カンナは背後を指差した。
 「BLOOD ROOM」
 「えっえっ?」
 「血の部屋って呼んでるわ。そっちで話そ」
  美希は生唾を飲むような感覚に襲われた。全裸の女を一人加えた女三人の空間。危険。逃げ切れないと感じるから怖くてならない。

  赤い部屋には赤いレザーのソファが置かれるだけでテーブルのようなものはない。内側までが赤い扉を閉めてしまえば赤一色。照明はあたりまえの白色なのだが反射する赤い光が二人の肌を紅潮させる。
  そしてそんな妖しい部屋に、いまにも動き出しそうな全裸のドール。見れば見るほど精巧にできていて、下腹の底に女らしいスリットさえも見えている。
  フロアは冷たいフローリングでもちろんレッド。クッションフロアであったのだが、赤い床に直にトレイを置いて二人で囲んでぺたりと座る。体よりも心が火照っているせいか、冷えたフロアが心地よかった。
 「ヌードにしてやったら、だいたいわかった、美希って子が」
  息がつまって声にもならない。
  カンナはわずかに顎をしゃくって、傍らに立つリアルなヌードへ美希の視線を誘い、そして言った。
 「ドールは美希ちゃん。あなた自身。よくご覧なさい」
 「お人形が私?」
 「そういうこと。裸になってどこも隠さず堂々と立っている。そんなふうに生きていければ女は幸せ。違うかしら?」

  美希は、自分で意識しないうちに『美希』と名づけられたドールを見つめた。
 「セラピーって、そういうことなのよ。裸の自分を客観的には見られない。ドールを自分だと思い、心を移譲させてやると美希の実態は抜け殻でしょ」
 「ああ、そういうこと・・何となくわかる気がします」
 「たいしたことない。美希の苦悩なんて、たいしたことないんだもん。ここにはいろんな女がやってくる。女優もいればモデルそのほか、あるいはすました貌してそのじつって奥様まで。ドールはそのとき心を吸い取り、本人を抜け殻にしてしまう」
 「一度白紙に戻す?」
 「そうよね、そういうこと。で私が、ドールから苦悩を吸い取って、リセットできた心を本人に戻してあげる。リセットできた本人が部屋を出て行く。それでおしまい。ただし、美希が本気で臨まなければ意味がないし、そのとき本気になれないなら苦悩もそんな程度のものだったというわけよ」
  曖昧とだが、わかる気がした。
  けれどもまるで理解できない。

 「ビアンこそ自分本位。我が強く、貪欲で、独占欲のかたまりのようなもの。私にはそこがない。ただいっとき私は血を搾るように相手を愛する。それだけのこと」
 「博愛?」
 「あははは、違う違う、私は女神でもないからね。一人として相手に期待しないというだけ。だから結婚なんてあり得ない。ビアン同士で結婚できる時代であっても、相手を囲った瞬間に、それから以降は苦しくなるだけ」
 「じゃあカンナさんには決まったお相手はいない?」
 「いないと言っておきましょう。私ってね、誰より脆くて弱い存在。そこを知り尽くしているから誰より強く生きられる」
  このとき美希は、カンナの深さというのか、底なしの孤独のようなものを察していた。そしていみじくもカンナは言った。
 「自分と戦ってはダメ。ありのままを受け入れて、それでいいと信じること」
  美希はちょっとうなずいた。それならいますぐにでもできそうな気がしたからだ。
 「だけどそれにはきっかけがいる。それが私のセラピーなのよ。ふふふ、なんてて言ってもわからないでしょうけどね」

 「そこで提案。さっき話したモデルやんない? 画廊に立たされて全裸。だけど水着を着てるようなもの。ありったけの女心を展示すると思えばいい」

  熱のある眸で微笑まれ、美希は萎んで肩を落とした。
  カンナは声を上げて笑う。

 「なんてね、言ってみただけよ、気にしないで。そんなことできるはずがない。常識的にそうだから」

  美希は危うく涙になりそう。内向的な私ではフェンスを崩せそうにない。

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