2016年11月15日

首なしの家(二話)


二 話


 初対面の加奈江の動揺を見透かしておきながら柔和に微笑む謙傲の眸。
 しかし加奈江は凍ったように目がそらせなくなっていた。思春期の頃から自分のM性に気づいていたが、開花するも何も、それがマゾ花の蕾かどうかもわからなかったし、だいたいそれほどの男に出会ったことがない。
「あなたはいい眸をしているね」
「・・そうですか」
「それもまた久利に通じる」
 それから謙傲はふたたび久利を呼び寄せた。どうやらいいようだから襖を開け放ちなさいと言う。田の字造りの古い家の造作は、入ってすぐの板の間が田の字の右下の空間。襖を開けると『田』の右上にあたる部屋がもう一間板の間で、左の上下が畳の部屋。この家は山の中の古い農家にしては一部屋が大きかった。
「さあ、こちらへ」
 謙傲はもう一部屋ある板の間へと加奈江を誘う。一歩踏み込み、早苗はうすら寒いものを感じて・・と言うのか、悪魔的なものを見せられて、今度こそ震えがきていた。

「ここはその昔、ある軍属が隠れ住んだ家でしてね」
「軍属?」
「つまりは裏切り者というわけです。この山の中で農民となり、ひっそり生きて死んでいった。僕はここを友人の伝(つて)で手に入れたが、そのときはそんなことだとは知らなかった。まあ、いろいろとあるわけです」
「はあ・・」
 そんなことは加奈江の耳には入らなかった。加奈江は呆然と立ち尽くし、震えだす膝頭を自覚しながらどうすることもできなった。
 板の間の一方の壁際に雛壇がつくられていて緋毛氈が敷いてある。その段に、フランス人形に市松人形がちらほら混じる二十体ほどの人形が飾られてあったのだが、それらのどれもに首がない。首なし娘が大挙して飾られているようだった。
「この中の一体が久利というわけです。どういうことかは言いませんが、あなたも女性ならよく考えてみることですね。それと先に言っておきますが原稿はまだできていない。今夜にでも仕上げようと思っているから明日もう一度来てくれないか」
「・・はい、それはかまいませんが」
 加奈江は背を押されて人形たちの前に立った。人形はどれも、そう古いというわけでもなくて、よく手入れされていて、首がないから粗末に扱われているわけではなさそうだった。

「あの・・」
「うむ? 何だね言ってみなさい」

 どうして問いかけたのか、加奈江はしまったと思ったが、謙傲という男に魅入られてしまっていた。
「首は・・?」
「それぞれ女たちが大切に持っている。体だけをここに置いてね。久利の顔は久利が持つ。それは女たちの誇りであるから。では今日はここまでだ、明日またいらっしゃい。首のない体。その意味をよく考えてみることです」
 加奈江は一刻も早くこの家を出たかった。不気味さと言葉にならない緊張。謙傲という男の怖さを凝縮したような空間であり、そんな世界に自分までが絡め取られてしまいそう。
 久利と言う女にクルマを停めた草っ原まで送られて、クルマに乗ろうとしたときだった。
「明日きっと・・お待ち申し上げておりますね」
 明日きっと? 逃げるなという意味なのか、明日きっとあなたは・・そんな意味が含まれているのか、加奈江はますます震えがくる。
 明日きっとあなたは・・明日、私はどうなると言うのだろう。考えようによってはどうとでも受け取れる言葉。どこをどう走ったのかもわからないうちに、気づいたときには熱海の海を見つめていた。子供の頃から何かがあるとこうして海を見つめていたっけ。
 加奈江は、自分の心が、いま激しく動いていると感じていた。

 首のない人形、それはつまり、首のない女たち。
 見ない。言わない。聞かない。頭がなければ考えない。しかし謙傲は首から上こそ女の誇りと言った。首はそれぞれの女たちが大切にして持っている。
 肉体だけを謙傲に預けているということなのか?
 そこに久利の体があるからには、あの多くの人形は性奴隷として謙傲が躾けた女たちの体だとでもいうのだろうか?

 違うわ。そんなことで海を見ているわけじゃない。悪魔的なあの世界に私の首なし人形が飾られることになるのだろうか?

 M性に気づいていて、しかしもちろん封じてきた性への想い。その封印が解かれようとしている。心の中に陽の出のような神々しい光が揺らいでいると感じるのだ。
 進学で家を出るとき謙傲の本は捨ててしまった。単身暮らす。身を律しておかないとSMへ踏み込むことになりかねない。いま思えばそんな気持ちは確かにあった。
「・・あの人かも」
 ふと呟いて、海の見える公園を後にした。
 実家に泊まることになりそうだと最初から考えて、目の覚める赤のほか、黒の上下を持ち込んだ。下着。しかし実家の整理ダンスには白もあれば青の花柄も置いてある。
 明日は迷うと考えた。色を訊かれて黒と言えば、自分を押し殺そうとしていると悟られる。

 白を選んだ。昨年買って持ち込んで着ないまま置いてある。白のレース。買ってはみたけど、なぜか身につけようとはしなかった。
 白を着た姿をドレッサーに映し、そのほか着替えに青の花柄をバッグに忍ばせた。下着を替えなければならない何かが起きる予感がした。
 翌日も晴れていた。この週末は天気がいい。朝から夏のような気持ちよさ。
 指定されたのが午後二時。昼食を済ませて家を出て、のんびり走って時間が余る。駐車場の草原に着いたとき、十五分前。昨日はあった黄色のジムニーがない。
 クルマを停めて外に出ると、昨日は緊張していて気づかなかったが森の裏側からせせらぎの音がする。今日は少し風があり、すがすがしい緑の世界。鳥たちが囀っていた。
 あたりを見回して微笑んで、時計を見る。十分前。まだ早い。もう一度クルマに乗ってシートを倒したそのときに、古いジムニー独特の音がした。

 謙傲は昨日のままの濃紺の作務衣、久利もまた大差ないジーンズ姿で、こうして外で会うと父と娘のようだった。
 そして加奈江も昨日とは違う白のジーンズミニ。それもまた不思議だった。またあの家へ行くのかと思うと怖いのに、一度は手にしたパンツを穿けない。迷ったけれど結局スカートで来てしまった。
 それにしても穏やかな謙傲と久利。絶妙の間合いというのか、半歩退いて居並ぶ姿は夫婦のように自然に映った。
 買い物だ。ジムニーの荷台にふくらんだレジ袋が三つ。それを謙傲が一人で持った。
「週に一度の街でしてね。久利とのデートも兼ねている」
 冗談めいた笑顔に、久利のひっそりとした笑顔が加わった。
 謙傲と加奈江が並び、久利が後ろを歩いてくる。それで家に入るのだったが家には鍵さえかかっていない。かかっていてもガタつく板戸では同じこと。都会では考えられない人の好い住みようが好ましい。

 しかし・・。
 家に入って謙傲は久利に言う。
「先に行っているから支度をしておいで」
「はい、ご主人様」
 ご主人様・・主従の会話を明解に突きつけられて、加奈江は突き落とされた気分になる。やっぱりそうだ、SとMの関係。先に行くって、どこへ?
 加奈江は息苦しいどころでない。乱れる息を整えようとし、かえって呼吸のリズムが狂う。
 ショルダーバッグを置いて家の裏へと案内された。家のすぐ裏から竹林がはじまって、竹を抜いて整えた道筋がついている。竹林すべてを薄い下草が覆っていたが道筋には草もなく、渇いた土の細い道。人二人が横に並べず、加奈江は先を歩かされる。
 歩くことでの息の乱れを装って、加奈江は熱い息を吐いていた。ミニスカートのヒップの蠢き、くびれるウエスト、そして淡いブルーのTシャツ越しにブラが透ける。全裸を透視されている気分。

「ほう・・白か」

 ドキリとした。白いブラはシャツの上からでもうかがえる。
 歩きながら振り向かず加奈江は言った。
「迷いました、黒にしようか・・ですけど・・」
「うんうん、言わぬが花。言わせる僕は朴念仁・・ふふふ」
 続けて届く謙傲の声を加奈江は前を見たまま聞いていた。
「久利とは五年になりますか。久利はいま二十九で、僕は六十三でして、父と娘のようなものだが久利は愛奴。すでにご存じだとは思いますがね」
 うなずくだけで声も出ない。胸郭が開くような呼吸になって、逃げ出したい気分がする。
「はじめの二年は涙した。けれどいまは静かです」
 調教を経ていまの久利がいる・・そんなことだと考えた。

 竹林をさらに少し行くと、なだらかな林床を丸く切り拓いた陽の当たるところがあって、そのほぼ中央を一跨ぎの水が流れている。沢とも言えないような森の中の流れ。斜面の上に湧き水があり、しばらくこうして流れ下って森の土に消えていくのだと言う。流れのこちらも向こうも剥き出しの土であり、こちら側には古い板で造った床几が置かれ、向こう側の空き地の背景の太い竹に、舞台で使う暗幕のように、黒く大きな布が太い竹に縛られてさがっている。
 どう見ても舞台のよう。
 手前側の床几のところまで来ると、謙傲はポケットから小さな防虫スプレーを取り出して加奈江に手渡した。
「ヤブ蚊だらけだ」
「・・はい、お借りします」
 腿から足先、腕、首筋あたりにスプレーする。受け取った謙傲も同じようにスプレーする。
 三人が座れる幅の床几の左右に分かれて座り込み、謙傲は、流れの向こう側を目を細めて見渡しながら言うのだった。

「首なし人形の数だけ、女たちはここで踊った」
「踊った・・ですか?」
「お人形の首だけを持って帰っていく。そんな中で久利がここに残ったというわけですよ」
 加奈江は意を決して言った。
「・・じつは私」
「うむ?」
「謙傲さんのお書きになられるものが好きで中学の頃から読んでいました」
「ほほう? それはそれは光栄だ」
「最初に読んだのはバリラ様・・」
「ああ・・ふっふっふ、宇宙エッチにメロメロだもん? はっはっは」
「そうです。可笑しくて可笑しくて。ですけどそのうち、女の性(さが)に苦しんだ人妻が解放されていく姿に感動しましたし、女ってそういうものだろうなって子供心に思ってました」
 謙傲の横顔は笑っていたが声はなかった。

「でも捨てちゃった」
 謙傲が静かに振り向き加奈江を見つめた。今度は加奈江が竹林を見渡して謙傲を見ようとはしなかった。
「進学で東京に出たときです。一人暮らしになりますからね。そんな世界から私は私を守らなければならない。そんな気がして捨ててしまった。その頃から私はMだと思ってましたし・・どうなんでしょうね・・おかしな話だとは思いますが」
 加奈江が謙傲へと眸をやると、今度は謙傲が竹林を見渡して微笑んでいた。

「・・中学生の白いパンツがねっちょりでした」

 言えた・・親にも言えなかったことが言えたと加奈江は思った。
 女の血を吸う邪(よこしま)な姿をした縞模様のヤブ蚊が一匹、白い腿に取り付こうとして薬品のガードに困っていた・・。

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