2016年11月15日

首なしの家(終話)


終 話


 不思議な手が背を押してくれていると感じていた。厚かった雲にも切れ間が生まれ青い空が覗いている。
 私の中の雨雲までが去っていくと思わずにはいられない。竹林からの細道は久利が嫌というほど歩いた道。首なし人形となって見守られる多くの女たちも私の前を歩いたはず。幻影となって白い女体が前を行き、女たちは後ろからやってくる全裸の私を振り向いて、その中を私は追い越すように歩いている。
 首のない骨となった人が背を押してくれていると感じていた。家の裏まで歩み寄ったときだった。謙傲が両手をひろげて待っている。それさえも幻影なのか実像なのかわからない・・。

 全裸の加奈江は涙をためて、父親のような謙傲の胸に抱かれていった。抱き締められて乳房がつぶれ、裸身がしなる・・そのときになって加奈江は自分が全裸であることに気づいていた。不思議な力が羞恥を消し去り、まるで赤子が父に抱かれるように、安心しきって飛び込んでいける・・加奈江は泣いた。

「久利のようだ・・おまえは似ている。久利のときもそうだった。この道を裸でやってきて僕の胸に飛び込んだものだ」

 謙傲は加奈江の肩をしっかり抱いて家へと導き、あの雛壇の前に座らせた。 首のない人形たちの間から、いまはまだ首のあるフランス人形を手にすると、首を引き抜いて加奈江に手渡し、それから首をなくした体をそっと壇に座らせる。
 あのとき久利がかぶっていた黒い全頭マスク。しなやかな生地をひろげるように頭にかぶせ、加奈江は生かされたまま首を失った。

「・・果・・」
「はい? か・・?」
「姜果がいいか・・」
「きょうか・・ですか?」
「姜という字は美と女が合わさったもの。果は果てしなく。果てしなく美しい女を生きていく」
「姜果・・それが私?」
 マスクの目は黒くて細かな網であり、こちらから見えても相手からだと見透かせない。
 マスクを与えられ、姜果の名を与えられ、そしたらそのとたん、加奈江の中に沈殿していた汚物のすべてが流れて消えた・・。


 私にはもう首さえない。
 感じる体を持つだけの女・・いいえ、それはきっと・・牝だと思った。
 マゾヒズムという感情とも違う気がする。
 私のままの私は首に封じ込めてしまってあり、首を失ったと自覚した瞬間、体が私らしい性体となって濡れはじめる。

 お墓の中のあの人もきっとそう。
 いまでも体は濡れていて、女を諦めずに眠っている。
 生きているのに女を諦める人がいるというのに、骨になってまで心を濡らす人がいる。

 そういうことなんだろうと思ったときに、私はマスクの意味に気がついた。

 見る。聞く。笑う。泣く。考えたいことだってたくさんあるわ。
 そんな心の動揺をマスクに隠しておけるから私は牝に徹していられる・・。

 這えとおっしゃる。
 性器もアナルもお見せして、私は私を隠さない。
 指がくる・・濡れるラビアにそっとキスをいただいて、私は淫獣となってお尻を振ったわ。

 慰めろとおっしゃる。
 オナニーじゃない。姜果という淫獣を喜ばせるため私がする心からの愛撫です。ぺちょぺちょといやらしい音がしたって、それは姜果の歓びであり、羞恥に赤らむ表情は隠しておける。

 縛るとおっしゃる。
 柱を背抱きにされて両足を頭の上まで引き上げられて、どくどくと淫水を垂らしながら、苦しくて苦しくて、なのに解き放たれて・・姜果はイク・・。

 それはちょうどセックスのとき、眉間にシワを寄せて喘いでおきながら、最後の一瞬、ふ・・と微笑み、心が軽くなっていくようで・・。
 そうなんだ・・快楽とは苦しみに耐えたことで与えられるご褒美なんだ・・。
 ちょっとそう考えて笑ってみるけど、それさえもマスクに隠れて外には出ない。

 涙を流し続けた苦しかった縄が解かれたとき、姜果は狂ったようにご主人様の勃起を求める。むしゃぶりついて・・それこそ獣が血肉を喰らうように・・初老の穏やかな勃起から放たれる樹液をいただく。

 やさしく抱いていただいて、嬉しくて震えてしまう。
 体のアクメより心のアクメが先に来て、痙攣するほど姜果は震える。

 三木加奈江は失踪しました。実家に戻ってクルマを置いて、まるで手ぶらでふらりと出かけ、姜果と名を変え、ご主人様のおそばにいる。
 鞭の痕が痛々しいけど、それはすぐに消え去って、すぐにまた欲しくなる。
 
 本心を拒絶するのは首から上の加奈江であって、首のない姜果は一切を受け入れて、のたうち転げ、天をめがけて果てていく。
 愛を考え、愛に苦しむ・・それも首があるからよ。
 竹林の黒いステージで姜果は踊る。透き通った流れの中に熱い体が崩れ去ったとき、マスクの中の加奈江の顔は微笑んでいることでしょう。

 私はいったい何者なのか。それにもきっぱり答えが出せる。

 姜果は女体。体だけの生き物なんだと安心できるし、骨となって、それでも女を誇って眠っている彼女のように誇らしく生きている。
 首のない姜果という生き方が好き・・私そのものだからです。
 日本刀が普通だった時代のこと。処刑という恐ろしいシナリオをご主人様は描かない。そうじゃない。朽ちた体を灰にせずにそばに置く主の想い・・ご主人様はそう考えていらっしゃる。

 女に生まれてお仕えしたい最高の男性・・そう思えてならないの。

 森の中を裸でお散歩させられて、穏やかに見つめられていながら排泄だってできるようになっている。なのに私はマゾじゃないと言い切れる。
 マゾヒズムなんて首から上が考えるこざかしい発想よ。首のない姜果には意味のない哲学でしかありません。

 首のない人骨と眠れとおっしゃる。
 ただしそのときマスクはいらない。穴の奥で人知れず加奈江に戻れる時間。
 お墓の中に女同士で眠る・・漆黒の闇の底で。
 私だっていつか没する。灰にされて消えてしまい、そのとき愛も消失する。
 彼女のように、いつまでもいつまでも女の体を残しておきたい。

 ムシロに眠る。
 体中を可愛がってくださる手の感触。
 濡れる・・濡れる・・イク・・私は果てる・・。
 錯覚なのか・・夢なのか・・。
 いいえ、加奈江は彼女に愛されているんです。恐怖なんて感じません。首のない私には恐怖さえないんです。
 首から上があることが女を生きる怖さだから・・。

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