2016年11月16日

獄死の微笑(三話)


三 話



 母親を獄中へと追いやった刑事の手を握る遙の姿を見ていて、寿斎は言う。
「この呪いを止められぬは鬼どもが千鬼成願を成した者の願いしかきかぬからじゃ。恭子が許さぬ限り誰が言おうが鬼は恭子との約束を守る。三兄弟のうち残ったのは一人じゃが、その先のことは恭子のみぞ知るということじゃ」

 三兄弟それぞれに家族がいて子息がある。岩城は言った。
「希代美のことはしょうがないのかもしれない。しかし事件当時、三兄弟の子供たちはまだ小さく、子供に罪はありません。なんとかして止めるすべはないものか・・止めなければ恭子自身が呵責を背負うことにもなるでしょう。恨みはわかる。しかしそのために罪のない子供らを殺したとあっては、それは結局、三兄弟が自分にしたことと同じ」
 寿斎はうなずくわけでもなく、孫娘のような遙に今日は帰れと言いつけて、岩城には残れと言うように洞窟の奥へと顎をしゃくった。

 遙が去って、寿斎は言った。
「希代美のことはどうにもならぬ。じゃが、その子供らについては・・鬼に会う覚悟はあるか?」
「鬼に会う・・会えるのですか?」
 寿斎はまた、うなずくでもなく洞窟のさらに奥へと歩きだす。洞窟はその先で二股に分かれていて、右の一方は上へと登り、左の一方はやや下る。その下りの側へと寿斎は歩む。
「この先は鬼の世界じゃ、覚悟なければ帰るがよい」
 後ろからついて来る岩城を振り向くことなく寿斎は言い、その声が岩に響いて岩城に聞こえた。
「気を確かに持つのじゃぞ」
 そう言って、あるところを超えようとしたときだった。
 岩城は、空間のねじれに巻き込まれるように崩れた重力に囲まれた。揺らぐ視野・・膝が折れそうになる体の重さ・・そうかと思えば逆に浮くような感覚・・体がねじ曲げられる感じがする。

 そしてその不思議な感覚が、ふ・・と失せたとき、黒い岩の洞窟でありながら周囲のすべてが陽炎に揺れる広い空間へと踏み込んだ。そしてそこに一握りの大きさの黒い丸石を積み上げたような大きな塚がある。
「これが鬼塚じゃ。石一つが一人。地獄へ落ちた者どもの墓じゃと思えばよいじゃろう。よいか、よく聞け」
「ええ?」
「岩城と言ったな。そなたのためではない、遙のためじゃ。あの子はいい子ぞ。自分が手を貸したばかりに恐ろしいことが起こっておると思うじゃろう。希代美のことは止められぬ。恭子の恨みであるからだ。じゃがその先・・鬼と話してみるがよい。ただし決して鬼どもを怒らせぬこと。怒らせたら最後、鬼の世界に引きずり込まれることになる。地獄じゃよ。覚悟があるなら、わしは出ておる」
「わかりました。何としても止めないと・・」
「やってみるがよいだろう。わしが出たらこう言えばいい。『カヅラよ、出でよ』それだけでよい。鬼はそなたの胸の内など見透かすわ」
「カズラ・・ですか」
「女の鬼を取り仕切る、もっとも恐ろしい女の鬼じゃ。わしはかつてそのカヅラに救われた」
「救われた? 鬼に?」
「この山ではない。別の山に踏み込んで景色の揺らぐ不思議なところに出てしまった。突然の嵐で山に迷い、洞穴に飛び込んで・・そしたらその穴がカズラの棲み家・・気まぐれな鬼じゃった」
 寿斎は思い出すようにほくそ笑むと背を向けて去って行く。

 岩城は累々と積み上げられた死者の石を見渡して、それから揺らぎの外の闇に向かって言った。
「カズラよ、出でよ・・カズラよ、出でよ・・」
 恐怖に膝が震えていた。まさかとは思うのだったが・・。
 陽炎のように景色を揺らす空気のベールとでも言えばいいのか、その外側で一際沈んだ闇の中に、とてつもなく大きな影が蠢いて、やがて闇は輪郭を結んでいく。
「・・ふっふっふ・・めずらしいこともあるものよ、このあたしに生きた男が会おうなどと・・ぐっふっふ・・」
 ドス低く響く声。
 黒い影が揺らぎの向こうに歩み寄り、揺らぎのベールをくぐったとき、カズラという女の鬼の姿が実像となって現れた。カズラは、白い首に鉄環をはめ鎖でつないだ全裸の女を連れている。こちらは人間の女。二十歳そこそこの美しい娘であった。
 岩城は力が抜け落ちたように膝から崩れ、歩み寄る大きなカヅラを見上げているしかなかった。
 身の丈二メートルをゆうに超え、赤黒い肌・・雪兎の毛皮らしい腰革をミニスカートのように穿き込んで・・筋骨隆々としたまさに獣身・・メロンのように大きな乳房・・顔は四角く、唇は厚く牙が覗き、見開いた眸は血走って赤く・・髪の毛はカールの強い赤毛であり、その頭には二本の角が生えている。
 足は素足で、けた外れに大きくて、爪が犬の爪のように尖っている。手も大きく爪はやはり犬のよう・・圧倒される赤鬼の女、それがカヅラ。

 岩城は声が出なかった。まるで子供に戻ったように怖くて怖くて体が震える。 揺らぎのベールを超えたカヅラは、ゆっくり、のしのし歩み寄り、尻をついて崩れた岩城の前に立ちはだかる・・。
「ほれ恭子ぞ。会いに来たのではないのか。しかし無駄だ。二十歳の女に戻してやったわ。呪いのことなど何も知らん・・遙という娘のことさえ何も知らん」
 恭子・・生き返り、若返り、鬼の奴隷となった恭子。美しいと岩城は思い、その白い体に傷一つないことからも、可愛がられているのだろうと想像した。
「恭子さん」
 呼びかけても全裸の恭子は不思議そうに首を傾げて微笑むだけ。カヅラが言った。
「無駄だと言ったはずだ。恭子の心は幼子よ」
「幼子?」
「苦しみを知る前の赤子の心に戻してある」

 よかった・・三兄弟に虐待された心の荒みが消されている。そう思うと泣けてくる。
「私は、その恭子さんを・・」
「言うな。言わずともわかっておる。人間の胸の内など聞くまでもない。おまえは泣くのか? この女のためにおまえは泣くのか? おまえが獄へ送った死刑囚ぞ? 思い半ば。恨みを晴らしきれず獄中でどれほど口惜しかったか、おまえにわかるか?」
「私は・・娘の遙ちゃんのためにも・・」
「だから言うな! 言わずともわかっておる。生きた者があたしに会うなど、すなわち命がけということよ。それでもおまえは願うと言うのか? 黙っておれ。願いなどこざかしい。おまえの心に、あたしの心が動くかどうかよ」
「・・はい、申し訳ありませんでした。ですがどうか一つだけ。その娘を・・恭子さんを可愛がってやってほしい・・私は申し訳ないことをしてしまった・・この通り」

 岩城は、全裸にされて子供のように無邪気になった恭子へ向かって手を合わせた。岩城は泣いた。静かな涙がとめどなく流れていた。
 恐ろしく大きなカヅラは、そんな岩城をはるか上から見下ろして、ただじっと見つめている。
 そしてカヅラは、そばにいて見上げて笑う若い恭子の頭を撫でて・・そしたら恭子がきゃっきゃと笑って自分の体よりも太いカヅラの腿に抱きすがり・・そんな恭子を、カヅラはくるりと振り向かせると、向こうへ行っていろと言うように恭子の白い尻をぽんと叩いて追いやった。
 そのとき揺らぎのベールの向こうから別の鬼の手がのびて、恭子の首輪につながる太い鎖をそっと持って引き寄せる。
 全裸の恭子はちょっと振り向き、崩れたまま動けない岩城に向かって微笑んで、揺らぎの中へと吸い込まれていくのだった。

「手を見ろ」
「え?」
「手を見ておれ」

 意味も解せぬまま岩城は自分の両手を見下ろした。
 カヅラの血走った大きな眸がギラリと光ったその瞬間、岩城は体中に疼くような不思議な痒みを感じだす。ゾクゾクと体の中から湧き上がるような疼き・・そして見下ろす自分の両手が見る間に若者の手へと変化していく。シワがなくなり張り詰める若い肌。岩城は目を見開いた。
「若い男に戻してやったわ・・ぐっふっふ・・立て」
 立ち上がろうとして体の軽さに驚いた。肥っているつもりはなかったが、ズボンがいきなりぶかぶかになっていて、シャツもだぶだぶ・・青年の頃の肉体に戻っていた。
 呆然とする・・何もかもに呆然とする。

「脱げ」
「・・はい」
 呪文のようなカヅラの声に岩城は逆らえなくなっていた。逆らうこともできそうなのに逆らう意思が湧いてこない。初老の男が着るものを脱ぎ去った岩城は二十歳の肉体に戻っていた。白髪の目立った陰毛も黒く茂り、圧倒的なカヅラの女体に反応したかのように激しく勃起させている。
「ふっふっふ、いかにも若い・・アミラよ、出でよ」
 カヅラの声に、揺らぎのベールの向こうから黒い影が歩み寄り、ベールをくぐって、明らかに若い女の鬼の姿となる。若いといっても身の丈はカヅラとそうは違わない。茶色の毛皮を腰に巻いた青鬼の娘。まだ短な角が頭に一本生えている。
 アミラと呼ばれた若い鬼は、カヅラのそばまで歩み寄ると、男の欲情を隠せない岩城の白い肉体ににやりと笑う。
「アミラはまだ三つの幼子よ。人間の歳なら十五、六といったところ。恐ろしい残酷を持てあます若い娘。人間の男などもちろん知らぬ。可愛がってやることだ。ふっふっふ・・生きて戻れればよいのだが。アミラよ」
「はい、カヅラ様?」
「連れて行け」
「ええ、いただくわ・・ふっふっふ・・きゃははは!」

 のしのし歩み寄るアミラ。一歩後ずさりする岩城。青鬼の大きな手が背と腿に回ったと思ったら、人間の体などひょいと持ち上げられてしまう。逆お姫様だっこ。岩城はアミラの太い腕の中で、妖艶に微笑むアミラに見とれていた。まさに鬼の微笑みだった。
 カヅラが言った。
「寿斎よ、この者をしばらく借りるぞ」
 やれやれと苦笑するように老いた寿斎は現れたのだが、カヅラに歩み寄るにつれて若返り、三十歳の男となって立っていた。
「どうやら気に入られたようですね」
「さてね・・あたしが決めたところでだめなのさ。あの残酷なアミラが許すようなら考えてやってもいい。寿斎・・ああ抱いて・・」
 カズラの大きな手が寿斎を引き寄せ、体がしなるほどに抱き締める。
 若返った寿斎の白い手が、比べるまでもなく大きなカヅラの腰革の紐を解いていき、カヅラは熱い吐息を吐きながら若い寿斎の男らしさを指先につまんでいく・・。

 その頃、東京では。
「これは・・検屍もくそもありませんね」
「・・もはや肉片だ・・恐ろしい・・」
 西林希代美の惨殺死体が血の海の中に転がっていた。時刻は当日の深夜だった。揺らぎの世界で岩城の時は止まっていたが、現世では時間がズレてしまっている。

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