2016年11月16日

獄死の微笑(終話)


終 話


 鬼塚洞からの帰り道・・。

 岩城は、穏やかな面色で運転する遙の横顔を見ていて、なんとなくだが記憶にへばりつくように残っている陵辱のシーンが蘇ってくるのだった。
 カヅラという女の鬼のほかにもう一人、別の鬼の娘に出会ったような記憶があって、遙の母親の過去を見せつけられたような気がする。曖昧な記憶でも、遙自身の口から義介の子かもしれないと聞いた記憶は鮮明だった。現実と悪夢の入り交じった不思議な感情に支配され、岩城の心は定まってはいなかった。

「母が夢枕に立ったんです。亡くなった日のことでした」
 前を見て運転しながら遙は言う。
「千鬼成願を私が成し遂げたことで母は笑っていましたね。これで私は救われると言って旅立って行ったんです」
「鬼たちに会ったことは?」
「いいえ、ありません。寿斎様にお願いしても許してはくれなかった。見なくていいものは見なくていい。遙らしく生きろとおっしゃってくださって」

 母親の悲惨なシーンを見ていない・・よかったと岩城は思い、遙は父親が誰かも聞かされてはいないと感じた。
「そのとき寿斎様はおっしゃいました。遙を守るのは鬼ではない。仏であり神であると。おまえの母は鬼が守る。それこそが千鬼成願というものだって。私にはよくわかりませんが、鬼がなぜ鬼なのかを聞かされて妙に安心できたんです」
「ほう? それは?」
「鬼の世界には時間がない。一瞬にして相手の過去も未来も見通すことができるそうです。取り繕っても嘘をついても鬼たちには通じない。人の汚さを知り尽くしているから鬼は人に対して鬼なのだと言われました」
「・・なるほど」
「ママを虐待した人たちは地獄に落ちて、未来永劫、鬼たちに責めらるそうですよ。私ね、ママには悪いけどもう忘れようと思ってるの」
「そうですか、よくわかりました。そうなさったほうがいいでしょう。あなたの人生はあなたのもの。恨みとは泥のようなものですから流してしまったほうがいい」

 空虚なことを言っていると岩城は思いつつ、またしても正論を話してしまう自分自身に嫌気がさしていた。幼い頃から虐待され続けた恭子の気持ちを思うと復讐するもやむなし・・そう思ってしまう自分がいる。俺はもう刑事ではない。もっともらしいことを言う必要がどこにあるのか・・なのにまた正論を言っている。
 岩城は自分が何者なのかがわからなくなっていた。
 街へ戻り、遙とは別れてみても、すぐに帰る気にはなれなかった。
 心が重い。とにかく身を横たえて眠りたい。
 小さなホテルに飛び込んで、体を投げ出すようにベッドに崩れた・・そしてそのとき携帯電話が鳴り出した。

「ああ岩城さん、やっとつながった」
 後輩の前川刑事。
「西林希代美が惨殺されました。見るも無惨・・これって、いったい何なんでしょうね・・マジで鬼?」
「もういい、忘れろ」
「忘れろ?」
「無駄だよ。人知のおよぶ話じゃない」
 電話を切った。どうでもよかった。

 うつらうつら。目眩のように景色が揺れて暗くなる。

 オレンジ色の妙な光線・・夢か・・夢の中で目を開けたとき、青鬼の娘がそこにいた。天井に触れそうな長身・・獣の女体・・しかし鬼は穏やかな眸をしている。
 それにしても妙だ。無機質なホテルの部屋がゆらゆら揺らぐベールにつつまれてしまっている。
「・・アミラ」
「言ったはずだよ、鬼には時間も距離もない。イワキの時間はどうにもしてやれる。鏡を見ろ」
 ハッとして飛び起きてベッドサイドのドレッサーを覗くと、そこには三十歳の男がいて、アミラを抱いた記憶がリアルなものとして戻っている。
 熱い膣の感触までも・・。
 どうやら夢ではなかったようだ・・。
 岩城は、いまこの瞬間、確かにそこにいる青鬼の娘を見た。
「会いたくなれば会いに行く。そのときのイワキは若い。ふふふ・・いいものを見せてやろう」

 ホテルの空間がぐにゃりと歪み、揺らぎのベールをくぐったとき、高層マンションの一室にいた・・見たこともない男が見たこともない女を激しく叱責しているのである。
『なぜだ! 馬鹿なことを!』
『わからないの・・何がなんだか・・』
『ふざけるな、いかにもせこい! 万引きとは情けない!』
 万引き・・?
『教師の妻のやることか! バレたらおしまいなんだぞ!』

 呆然として岩城は言う。
「・・これは?」
「恭子が殺った西林小百合の娘よ。圭子と言って二十九だ。我らは手を下さない。我らは亡者を送り込み・・ふふふ、人間どもは悪霊と呼んでいるがな。生涯この女から離れない。生涯幸せになることはないだろう」
 小百合と旦那、親同士の大声に、そばで幼児が泣いている。
「圭子も、その子も、末代まで亡者は祟る。ふっふっふ・・恨みとはそういうもの。
恭子の恨みは我ら鬼が背負うのだ。それこそが千鬼成願」

 そしてまた景色が歪み、次にはラブホテルの一室だった。全裸の女がベッドにいて、シャワーの音。男がシャワールームにいるらしい。
 女が携帯で話している。
『いまはダメだって・・ちょっと待ってよカモなんだから。結婚を餌にがっぽり貢がせてやるからさ』
 アミラは言う。
「西林希代美の息子。健太郎と言って二十六さ。性悪女にひっかかって気づかない。心底惚れてる馬鹿野郎。取り憑いた亡者が亡者を呼んで生涯苦しみ生きていく。遺産など底をつく。生涯成功することはない」

 そしてまた景色が揺らぎ、いきなり陵辱のシーンとなる。若い娘が寄ってたかってレイプされ、娘は泣きじゃくって犯されている。
 アミラは言う。
「西林保の娘、彰子よ。二十歳となるが、これからは淫欲の日々となるだろう。亡者どもが取り憑いて淫夢から解放しない。狂ったように男を求め、先のない人生を送るのだ」
 岩城は魂を抜かれてしまったように、まったく無感情にそんな光景を見ていた。女の恨みの恐ろしさを思い知り、しかし復讐を否定しようとも思わない。
 ただ呆然と見つめるのみ。警察に生き正義に徹したつもりの自分の半生が虚しくなる。

 最後に景色が揺らいだとき、ホテルの部屋に戻っていて、岩城はベッドに腰掛けて、目の前にアミラが立っていた。
 アミラはちょっと微笑むと、腰に巻いた獣の皮を脱ぎ去った。鬼の前で人間の男は無力。岩城は、若返ってだぶだぶになってしまった服を脱ぐ。
 大きなアミラが丸太のような腕をひろげ、子供が母にすがるように裸の岩城は抱かれていった。岩城は激しく勃起させていた。
「すぐ勃てる可愛い奴・・ふふふ・・人間の男が恋しくなるなど狂っている。イワキに抱かれ勃つものを体の奥に迎えたとき、あたしは震えた。まっすぐな精液を受け取って不覚にも達してしまった・・」
 岩城は鬼娘の圧倒的な乳房にくるまれて、あのときそのままの無情の安堵を感じていた。

 アミラは、犬爪を男の肌に立てぬようにイワキを撫で回し、イワキは大きな女体を這い上がるようにして口づけを求めていった。
 浅い口づけ。アミラは言った。
「もうひとつの景色を見せてやるのはたやすいこと。イワキが死した後、若返らせてそばに置く。そのときに奴隷となるか愛玩物でいてくれるか。ひとたび鬼の世界を知ったからには逃さない。イワキが去ればあたしは呪う。女とはそういうもの。抱いてイワキ・・会いたくなればいつでも行く・・」
「アミラ」
「うん?」
 アミラは、はるかに小さな人間の男の両肩に手を置いて、岩城の眸をじっと見つめた。
 岩城は笑った。
「鬼塚洞へ訪ねていくよ」

「イワキ・・ああイワキ・・抱いて」

 ものすごい力で引きずり込むようにアミラはイワキに押し倒されてやっていた。


 ・・このとき俺はとんでもないことを考えていた。
 刑事でも人。いいや、そこへ行くまでにも殺してやりたいと思った奴・・男もいたし、俺を裏切った女もいた。
 復讐する力がないから人は復讐を否定する。しかもそのとき俺は老いて死んでいて、アミラのもとで若返って生きている。

 俺も鬼だと考えた。
 アミラの中へ射精しながら・・。

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