2016年11月16日

花嫁の森(一話)


一 話


 六月下旬。県警本部、生活安全課。

 昼食を終えた昼下がりになって妙な通報が舞い込んだ。
 電話を受けたのは、この課に配属されたばかりの新米巡査、田村隆文。
 田村は理系の大学を卒業後、何を思ったのか、就職が内定していた電器メーカーを蹴って警察官への道を選んだ。いかにも合理的な発想をする現代の若者。民業で合理主義は当然でも役人体質そのものの警察の中では、田村は特異な存在だった。はっきり言って浮いている。

「はい生活安全ですが? あい? 森にパンティ! はー? ええ・・場所は箱根・・芦ノ湖のそっち側? そっち側とは東西南北? 西? あーあー静岡側ね、了解しました。茸を採りに入った老人が発見した? なるほど・・それで交番へ通報があってこちらに回ったというわけで? 了解です。それで被害者とかは?」
 話しながら田村がふと隣りのデスクの脇田へと目をやると、脇田はちょっと笑っていた。
 脇田圭子は四十二歳、防犯課に二人いる女性警部補の一人だった。通報の内容にも心当たりがあったし、それより若い田村の対応が面白い。田村はまだ二十四歳の若者だ。

「被害者らしき者はナシ? 森に真っ赤なパンティが落ちていただけ? ああ・・ブラジャーも一緒に? ・・ワオ」
 『ワオ』とつぶやく物言いがたまらなく、脇田は笑いだし、ほかにも数名がにやにやしている。田村は、声は大きい、話し方は学生のノリであり、若者言葉が乱れ飛ぶ。
「なーる・・それであるいは性犯罪ではないかということで通報があったわけですね? しかし被害者は見当たらない? 通報があったので一応連絡したってことですね? あー、はいっ、それはどうもご苦労様で・・ハイ」
 受話器を置く頃には脇田はデスクに両肘をついて頭を支え、顔を隠して笑っていた。そのとき防犯課を取り仕切る課長の松崎警部が言った。

「またかよ」
「またか? よくあることなんで?」
「よくあるとまでは言えないが・・ああ忙しい、そんなことにかまっちゃおれん。脇田君、説明してやってくれたまえ。ああ忙しい、俺はちょっと出かけてくるから」
 椅子の背にかけた上着を抜いて、松崎はそそくさと出て行った。
 生活安全課は文字通り防犯のために地域との接点が多く、制服を見せつける部署でもないため私服であった。今日の田村は、あたりまえのスーツ姿。

「ふん、サイテー」 と、脇田はつぶやき、部屋を出て行く松崎を視線で追っている。今日の脇田は黒のパンツに淡いブルーの半袖シャツ。
 松崎という男は、いかにして責任を逃れるかしか考えていない、いかにも中間管理職らしい警察官。ろくに仕事もできないくせに酒づきあいで上司に取り入る嫌な奴で通っていた。役人の世界にはそうした輩がごろごろいる。

 しかしこのときの田村にとってそんなことはどうでもよかった。田村は子細を訊こうと隣りに座る脇田に向き直った。安物のスチールチェアがギィと嫌な音を立てる。
 脇田が言った。
「ああなっちゃダメよ、田村くん」
「なりませんよ。僕は捜査一課志望ですから、そのうち移動でここにはいませんし」
 呆れて顔を見る脇田。
「あそ・・それもまたドライな考え方ね」
 脇田は可笑しい。脇谷には大学二年の息子がいたが、ドライなところがよく似ている。田村とは四つしか離れていない。田村が配属されてきたとき、脇田はなんとなくソリが合うと感じていた。息子と話しているようで、さばさばできる相手だからだ。

 脇田は芦ノ湖界隈の地図をひろげた。
「ここが芦ノ湖」
「はい」
「で、問題の森は湖の西側のこのへんなんだけど」
「ええ」
「稜線に沿って芦ノ湖スカイラインが通っていて」
「そこ走ります、バイクで」
「あそ・・ふふふ・・でね、問題なのは、通報された森というのが県境をまたいでいることなのよ」
「静岡ですよね?」
「そうよもちろん。パンティパンティといやらしい言い方をするけれど、女性の下着が落ちているのは決まってこちら側。だからウチへ通報される」
「はぁ・・まあそうでしょうね」
「ところがよ、ここらの森はなぜか私有地で、森の中に白い洋館が建っている。桐原エリーと言う謎の女の館なんですが、そこには若い娘たちが何人か同居して暮らしているのね」
「若い娘たち・・ほう・・」
 いっちょまえに眉を上げる素振りをする。刑事ドラマの見過ぎである。

 しかし脇田は、それだから田村が憎めない。
「桐原エリーなる女も不可解な人物なんだけど、18から20歳までの娘らを預かって花嫁学校のようなものをやっている。もちろん正式な学校法人ではなく、私的な趣味のようなもの。一定期間同居させて躾けていくというのかしら」
「なるほどね、それで森に若い女性がいるわけで?」
「そうなのよ。我々としても注目すべきはそこなんだけど、館は県境の向こうに建っている」
「越境になりますね?」
「そういうこと。それでこちらとしては手が出せない。向こうでも被害届であるとか捜索願のようなものは出てないし、こちらだって出ていない。森の中に下着が落ちているというだけでは手の出しようがないんです」
「張り込みなんかは?」
「一度ね。この話が出はじめたのが二年ほど前からで、当初はもちろん性犯罪を疑った。我々だって捜査したし、遠目に張り込んでもみたけれど何も出ない。向こうに問い合わせたって、向こうでは通報さえないわけですからチンプンカンプンになっちゃうでしょ」
「ふむ・・ですよね、下着が落ちているというだけでは・・」
「日中の張り込みでは意味がない。だけど夜は漆黒の闇・・」

 ダメだこりゃ・・と言うように目が合って、脇田が言った。
「今日どう?」
「飲み?」
「この件で話さない? 私もほかのことで忙しいから」
「おっけすよ、ぜひ聞いておきたいし」
 それでその場はおさまった。防犯課には日々さまざまな案件が飛び込んで、それどころでないというのが現状。
 定時を少し過ぎて、二人はタイミングをちょっとずらして署を出、打ち合わせた居酒屋で落ち合った。小さな店だったが座敷があって襖で閉ざすことができる造り。その分安くはなかったが魚料理が美味いと評判だった。

 座敷は座卓だが、冬場は掘り炬燵となるからテーブルにつくようになる。店には脇田が先に着き、五分ほどして田村が覗く。
 二人ともにとりあえずビールという考え方はしない。脇田は基本的に飲めなかったし若い田村は基本的に飲まない。ウーロン茶とジンジャエール。つまりは食事の席になる。
 脇田が言った。
「さて早速」
「はいっ」
 ジンジャエールを一口飲みながら身を乗り出してくる姿など息子そっくりだと可笑しくなる。脇田は言う。
「通称、芝崎山って言うのよ、そのへんの私有林を」
「芝崎山すか」
「そうそう。私有林と言うよりも山一つが私有地なのね。明治の頃の山林王と言われた芝崎喜輔の持ち物だった。かつてもっと広大だったものを国に返して、したがって国としては目をかける。静岡にも山梨にも長野にも山を持ち、木材で財を成した男なの」
「それもあって静観している?」
「いえいえ、いまは違うよ。手を出しにくいというぐらいかしら」
 そのとき料理が運ばれて、食べながらふたたび脇田が言った。

「芝崎喜輔には孝志という一人息子がいて、シンディってイギリス娘と結婚したの。そこで生まれたのが芝崎エリー。エリーは結婚して桐原姓になるんだけど、その旦那もいまはいない。芝崎家も皆死んだ。旦那の桐原という男も早死にしてエリーだけが残ってしまった。芝崎家の莫大な財産を相続してね」
「なるほど。もしや相続税で山林を返納した?」
「イエス。それもあって県としても国としてもありがたいわけよ」
「なおさら確証がないと苦しいすね?」
「そういうこと。我々としても県境のこっち側から望遠鏡で監視するぐらいで、それでまた、相手に怪しいところも皆無だし」
「怪しくない?」
「森の中に白い洋館が建っていて、その前の広大なガーデンで娘らが楽しげに遊んでいる。おそらく決まりなんでしょうが、娘らは皆純白のドレス姿で、花嫁修業と言っても日本的なそれじゃない」
「貴婦人のような?」
「まさにそう。エリー自身がそうですし、母親はイギリス人だし。娘らを見守るように、エリー一人だけが目の覚める赤いドレスで座っている。ハーフにしては小柄だし、美人よとっても。まあ、といったところで犯罪の匂いは皆無。だいたい落ちている下着がそれと関係あるのかどうかもわからない」

 うなずきながら聞いていても、若い田村は喰うほうで頭がいっぱい。がつがつ貪るように食べている。
「ご飯少しあげようか?」
「あ、もらいっと!」
 可笑しい。言うことまで息子に似ている。
 田村が言う。
「そいで係長は下着というのは見ましたか?」
「もちろん見たし鑑識へも回したし。ルミノール反応(血痕判定)が出るわけでもなく、下着はどれもが新しいし、男性の体液も検出されない」
「新しい?」
「ほとんど新品と言えるでしょうね」
「下着はどれも・・って、似たようなことがよくあるってことですよね?」
「あるわね。二年ほど前にはじまって、これで数度・・ただね、一つ言えるのは下着はどれもが総レースの高級品でフランス製、色は決まって赤だということ」
「赤だけ?」
「だけ。それも目の覚めるような赤で、どれもが新品・・そこがどうしても腑に落ちない。ショップで数万円もするフランス製ってところを考えると・・」
「金持ちすっよね?」
「エリーのドレスと同色なのよ。ね、明日にでも行ってみようか?」
「下着を見に?」
「うん、もちろん」
「ワオ」
「あははは、何よそれ、あなたも若い男よね、息子そっくり・・」

 息子の部屋のベッドの下にエロ本を見つけたときのことを思い出す・・。

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