2016年11月16日

花嫁の森(四話)


四 話


「何事もなく帰って行きましたな」
「それはそうでしょう。私有林で人目に触れず何をしようが取り締まることはできないわ。それに彼女は職務よりも私に興味があってここに来ている。館の中まで隠さず見せたわけだから、かすかな疑念は残っても、もう手は出せないはずよ」
 窓のない不思議な空間にいくつか並ぶモニター画面が、舗装された村道へと遠ざかる脇田の赤いクルマを捉えていた。館への道筋の要所に、巧みに枯れ木に偽装した監視カメラが備えてあった。

 森の体内を抜け出せた・・それはちょうど膣を抜け出た赤子のような気分。砂利道の振動がぴたりとなくなり、脇田はほっとため息をついていた。
 案内された館の内部は改装されて綺麗にはされていたが、築六十余年の古さを隠せないものだった。玄関の大きなドアをくぐると絨毯敷きのホールがあってシャンデリアが下がっている。ヨーロッパスタイルの楕円の大きなテーブルがあって、調度品も明治から大正にかけてのものをそのまま使い、その当時を想像できただけに、エリーの父、そして村木という男が、エリーの母シンディの足下に奴隷のようにかしづく姿が脳裏に浮かんだ。

 一階には、そのほかキッチン、大きな風呂と、村木の部屋があるだけだった。隔絶された洋館であっても芦ノ湖スカイラインの側から電気だけは来ていて、しかし水は井戸だったし、ガスはなかった。建物の裏手に大きな灯油タンクが備えられ、石油バーナーで湯を沸かすようにされている。
 外観で三階相当の高さのある館。一階の天井が高く、二階には部屋が三つあって、一つがエリーの居室。娘らの部屋は二つであり、四人ずつが暮らせるように、学生寮のような二段ベッドが二つずつ備えられている。
 つまりマックス八名。いまは五人が二部屋に散って暮らしていた。
 しかしそれだけ。娘らを性的に躾ける調教部屋のようなものもなく、きわめて健全な空間だと直感的にそう感じた。館には女の匂いが満ちていた。村木は枯れた存在のようでもあり館の召使いのようでもある・・だがそれも勝手な想像なのかもしれないと・・。

 ともあれ恐怖の樹林は抜け出せた。このとき時刻は昼前で、館への道筋の往復を含めておよそ三時間、樹林にいたことを思い知る。
 舗装された村道から県道へ、国道へ。タイムスリップしていた時間が現代へと回帰していく。道はやがて東名高速。館からなら御殿場ではなく裾野から乗るほうが便利だった。
 高速には喧噪があふれていた。今日はなぜかトラックが多く、外気を遮断して走っていても空気が臭い。日頃嫌でならないものにほっとする。脇田は都会に馴らされてしまった自分に不思議な哀しみを覚えていた。
 どこかで軽く食べてとは思うのだったが、足柄SAは大きすぎて停まる気になれず、しばらく走って鮎沢PAへとクルマを入れた。時刻がよくないようで昼食の客が多い。クルマを停めエンジンを切って、シートを少し倒して車内にいた。

「・・ちょっと口惜しいかも・・なんだろ、この気持ち・・」
 つぶやいてみる。
 私と同じ年に生まれた桐原エリーの半生がとてつもなく自由なものに思えてくる。短大から警察を志し、学生時代の彼と結ばれ子供もできた。真面目に歩いた人の道。履歴に空白の時はない。
 なのにエリーは、前衛舞踊家モイラとなって突如現れ、それ以前の彼女は謎に満ちている。調べてみても霧の中。母親に連れられてイギリスにいたらしいということぐらいはわかっていても、突如全裸ダンスで逮捕されてこの世に現れた女。逮捕といってもその程度では罪は軽く、以降また消息不明で、館の女帝エリーとなって現れた。
 森の男に抱かれるとは、どういうことか・・さらにまた彼女の母だ。シンディ。男を虜にする不思議な力・・夫と、村木というあの老人を操って奴隷のようにかしづかせ・・いったいどんなことをしたのだろう・・。
 何もかもが私の人生にはなかったことだし、これからもない生き様。
 警察はそれでなくても他人の裏側を見聞きする。振り払うようにプライベートへ戻ったときも警察官としての倫理は捨てられないし、妻であって、母でもあって、考えてみるとがんじがらめで生きている。

 森の男に捧げるため、たった独りで樹林に分け入り、全裸となって狂乱する。
 大自然と交信する・・自然に宿る神や魔物と交信する。
 錯乱するアクメがくるとエリーは言った。どんなだろう? 一度ぐらいは知ってみたいと思う気持ちが確かにある。エリーと話し、微妙に反応する女心を悟っていた。性的に解放されたエリーに対する羨望だと自覚する。
 その母、シンディに対しても。シンディの特殊な性癖は、当時の古い倫理の中では隠しておかなければならなかった。エリーのように真紅のドレスを身にまとい・・そうだ、あの犬・・ソクラテスとナポレオン・・二匹の犬を飼うように二人の男を支配した。若かった村木、そして若かった夫を全裸にし、足下に従えていたというのだろうか・・。
 深いため息。妄想が妄想を呼び、よからぬ幻影を見せている。脇田は胸が苦しくなった。


『さあ、いい子よ・・私の眸を見つめなさい・・』

『何をするんですか・・おっかしいんじゃない』

『ふふふ、おかしいのはあなただわ・・自分を偽り、他人を傷つけ、その呵責に苦しみもがいて生きていく・・そんなの嫌でしょ・・心静かに・・穏やかに・・これ以上ない素敵な女の性を生きていく・・それが運命なんだもん』

『やめてください、訴えますよ!』

『訴える・・それもまた人のエゴよね・・私の愛を信じきれず・・男たちの愛を怖がって・・逃げて逃げて生きたって幸せはやってこない』

『ああ嫌ぁ・・ねえ、やめて!』

『ほうら・・ほうら気持ちいい・・私に見つめられ・・あなたは私に魅入られて・・この世のものではない快楽へと飛び立つの・・ほうら気持ちいい・・目をそらさず私を見つめて・・ほうらいい・・すごくいい・・溶けそうでしょ』

『・・はぁぁ・・んっんっ・・はぁぁン』

『ふふふ可愛い・・可愛いわぁ・・素直な女の甘い声が、ほんと素敵よ・・ほうらもうダメ・・やさしく素直な女の子として生きていく・・運命なのよ・・こざかしい人の思惑ではどうにもならない性への運命・・ほうら震える・・ほうらイク・・』

『い、嫌ぁぁ・・ぁっ、あーっ!』

『そうそう、それでいいの・・それでいいのよ・・もう私に逆らえない・・運命の女神モイラに魅入られ・・ほうらイク・・夢のような気持ちよさ・・ふふふ』

『・・はぁぁ・・女神様ぁ・・』

『そうそう、私は女神モイラです・・あなたの守護神モイラなの・・可愛い名前を授けましょうね・・今日からあなたは・・ケイ・・』

『・・ケイ?』

『可愛い名だわ・・男たちにも女たちにも可愛がっていただける最高に可愛い名前よ・・さあ見つめて・・ほうら眠くなってくる・・ほうら眠い・・』

『・・ぁ・・ぁ・・ぁぁ・・』

『ふふふ・・ほうら・・ほうら気持ちいい・・目覚めたとき、あなたは可愛い娘になっている・・ケイよ・・素敵な娘ケイとして生きている・・』


 樹林が白む。闇の空を朝陽が赤く染めはじめ、深い森に光に配る。
 朝露が天へと召され、白き靄となって樹林に漂う。
 蒸れるような森の生命・・神の陽射しが朝露に弾かれてキラキラとした光の放射を描いている。
 乳白のヌードライン・・真紅の下着がそっくり透ける霧のような真紅のドレス。
 金色に輝く長い髪・・深い森にたった独り、裸足で歩む女がいる。
「抱かれに来たか、女よ」
「はい、どうぞ私にお情けを・・ああ溶ける・・ああ感じる・・」
「脱げ」
「はい・・あぁぁ嬉しい・・淫らな私をごらんくださいませ・・このようにもう濡れて濡れて・・お捧げします・・精霊のみなさまに、この身を・・淫らなこの身を・・」

 霧の赤が脱ぎ去られ、真紅のパンティ、真紅のブラが消え去って、乳白の女神のような女が踊る、踊る。
 アートそのものの白き裸身・・愛液のように溶ける眼差し・・白き肌には鳥肌が騒ぎ・・乳首は尖り・・真っ白な二つの尻肉がぶるぶる震え・・豊かな乳房を揉みしだき・・乳首をツネリ上げて痛みに叫び・・浅く赤い陰毛の奥底の淫裂さえもあからさまに・・指を忍ばせ、腰を振って・・よがり悶え・・のたうつように女は踊る。
 森の男・・精霊たちが・・激しく勃てた男性を振りかざして女を囲む。
 大木にすがるように女は木を抱き、腰を反らして濡れそぼる花園を精霊たちに見せつける。

 襲われる・・それは蹂躙・・あられもない女声は金属的な悲鳴となって森を流れ、女は閉じなくなった唇から唾液をだらだら垂らし・・白目を剥いて・・それでも精霊たちは許さない。
 次から次に萎えない男茎が子宮を貫く・・女は啼く・・わめく・・鳥たちが囀るように震えて啼く・・声がか細く消えていき・・おびただしい潮を噴いて女は果てゆく。
「もう・・もう・・ああ嬉しい・・ご主人様ぁ・・ぁ・・ぁ・・あ!」
 裸身が崩れて森の土に倒れようとしたときに、見えない腕が抱き支え、薄目を開けた女が微笑み・・そっと目を閉じ、果てていく・・。

「ハッ! はぁぁ・・んっ・・はぁぁぁ・・」

 脇田は繰り返し同じ淫夢に取り憑かれる。汗をかく。息が乱れる。怖くなってパンティに手を入れると信じがたい濡れそぼり・・ちょっと触れただけで痺れるような快楽が訪れる。
 そして、崩れ落ちて森の男に抱かれたとき、顔を上げて微笑む顔が私自身。エリーではない。
 ハッとして横を見ると、ツインベッドの向こう側に夫が寝ている。見慣れた闇が目に飛び込む。
 四十二歳、エリーと同じ。アラフォー。そうよね、涸れる歳ではないはずよ・・そんなことを考えて、そのたびいつもエリーに対する羨望が湧き上がる。

 私は飢えているのかしら・・夫との夜はなくなった・・いつ頃からのことだろうと寂しくなる。森の男たちに抱かれるなんて、そんなことができるのなら、夢の中へと解放されていくのかもしれない・・体の奥底から滲むような欲望を抑えられなくなっている・・。
 ベッドを抜け出し、替えの下着を手の中に握りつぶしてトイレ。
「何なのよコレ・・嘘でしょう・・」
 全身が呼び覚まされて、家族に隠れてほんのちょっとまさぐるだけで、瞼に星が舞い散って・・解き放てない自分が哀しくなって涙が浮かぶ。

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