2016年11月16日

花嫁の森(終話)


終 話


 二月ほどが過ぎた夏の下旬。沖縄に迫る巨大な台風が列島を狙っていた。予報円の真ん中を進むとすれば、九州南部をかすめて四国に上陸、そのまま列島を縦断する最悪のコース。スピードが遅く、甚大な被害が予想された。台風本体が沖縄に迫っている段階なのに、大量の蒸気を含んだ雲は九州から関東までをすっぽり隠し、四国あたりでは小雨だというのになぜか関東に猛烈な雨を降らせていた。

 この日は平日の水曜だったが、脇田はこの日、代休で家にいた。先だっての日曜にちょっとした事件があって勤務した、その代休。平日でもあり夫は仕事で出かけていて、息子は友人たちと伊豆にいる。せっかくの休日なのにこの雨では出られないし、こういうときの警察官は部署の別なく自宅待機というのが普通であった。かつてないほどの台風。神奈川県は海に面しており山間部も多いことから、大規模災害が起きないとも限らないからである。
 昼下がり。自宅マンションのガラスエリアをシャワーが洗う怖いほどの雨を横目にしながら、脇田は地元放送局のテレビをつけていた。何かあればテロップが流れる。

 番組は少し前に放送された二時間特番の再放送で、世界の不思議を取り上げるもの。UFOから心霊までをカバーしていて、ちょっと信じられないような実話もまじえたものだった。
 しかしつまらない。非科学的・・荒唐無稽と言うのか、いわゆるヤラセものだと思うような超自然現象・・UFO・・未確認生物・・いかにも存在するように編集しておき、結局発見できなかったで終わる。現実に向き合う警察官には夢物語でしかなかっただろう。しかし・・。
 久々に珈琲を淹れてロングソファにくつろいでいた。そしてそのとき、ふと樹林の白き館を思い出す。台風の直撃コースに入っていて、山が崩れて孤立でもすれば危険だと考えた。

「エビルアイとは、現実に存在する悪魔的な念のパワー。魔眼あるいは邪視とも言われるが、ここに証言する女性がいる」

 猛烈な雨がいまにもガラスを通して吹き込んできそう。鉛色の空を見渡していて、意識の片隅にそんな声がフェイドインで忍び込む。
 脇田は、香ばしい珈琲に口をつけながら、意識をテレビへ引き戻す。ちょうどそのとき速報の音がして、神奈川の箱根エリアに大雨洪水警報が発令され、山間部には避難準備情報・・。
 そしてそのテロップに隠れるように、白人女性の老婆が映る。
「わたくしなどスコットランドの魔女と呼ばれていますのよ。ただエビルアイを持つというだけなのにね・・おほほほ」
 取材スタッフが問いかけて老婆が答え、字幕となって表示される。画面上部のテロップが消え、画面の下に流れる字幕へと視線が下がった。

『エビルアイとは日本語で魔眼あるいは邪視とも言われ、その眼差しに見つめられると、悪魔に魅入られてしまったように操られることもある恐ろしいもの』
 ・・と、字幕で解説されていて、老婆が言った。
「催眠術だと思う人もいるでしょうけど違うのよ。眼差しに念を込め、相手の心に送り込むことで、その人の心を支配する。それはちょうどマリオネットを操るようにね」
「そんなことが実際にできるものなんでしょうか?」 とスタッフが訊き、老婆は眉を上げて微笑んだ。老婆は明らかに九十代。番組の演出らしく黒いローブを着ているが、まさに魔女といった姿であった。
「できますとも。・・あら、そうだわ、あなた方は日本の方よね? 日本からわざわざおいでになった?」
「はい、おっしゃるとおりですが?」
「だったら・・ふふふ・・わたくしはエビルアイの持ち主を何人か知っておりますが、わたくしの知る限り、最強のパワーをお持ちの方が日本にいらっしゃる」
「私たちの日本にですか?」
「そうよ日本に。名を申し上げるのは差し控えますが、その方はそれは美人でいらっしゃり、日本人の父を持ち、イングランド人の女性を母に持つ、そんな方でね」
「ではハーフ?」
「そうですね、ハーフです。あれはいまから・・うーん・・十年ほど前かしら。そのときはじめてお会いした女性なのですが、このわたくしがゾッとするほどのエビルアイの持ち主で・・確か・・なにかの舞踊をやっておられたと記憶しておりますが・・」

 脇田は身を乗り出した。猛烈な雨さえも意識から消えていた。
 十年前というと、前衛舞踊家モイラが逮捕され、その後釈放されて消息不明になった時期と合致する。
 老婆が言った。
「その方のお母様もそうなんですが、お嬢様の方がはるかに強い念を持つ。いわゆる魅入られるということで彼女に見つめられると心を奪われ、あたかも僕(しもべ)のようにされてしまう」
「それはたとえば奴隷のように?」
 老婆は楽しそうに笑った。
「女ってそういうものよ。眸で相手を虜にし、心の限り尽くさせる。そんなことができるのなら、これほど幸せことはないでしょう。素敵な男性を飼い慣らせるのですからね。それは相手が女性であっても同じこと。相手が女の場合は往々にして呪いということにもなりかねませんが・・おほほほ・・どうかしら? 女って怖いでしょ?」

 エリーだと直感した。エリーの母のシンディもエビルアイを持っている!

 そう思うと、あのとき大胆にも館を訪ねたことが恐ろしくなってくる。
 ・・と、そのとき携帯に電話。息子だった。
「道が通行止め? うんうん、いいわよ、しょうがないもん。様子を見てホテルにでも泊まればいいから・・うんうん・・とにかく気をつけなさいね」
 いったん引き戻された意識が、電話を切ったとたん樹林の館へと羽ばたいていくようだった。

 かつてない・・この言葉が当然のようになっているが、かつてない巨大な台風は列島各地に甚大な被害をもたらした。洪水、山崩れ、高潮による沿岸部の被害と、列挙すればキリがない。
 そして、そんな台風が過ぎ去った五日後のこと。その日は火曜日で、脇田は若い田村を伴って東京の警視庁にいた。少年少女を性犯罪から守るための全国警察会議である。しかし性犯罪から守るといっても指導には限界があり、発見されたときすでに被害者というケースがほとんどだった。取り締まる側とすれば、そのままに放置できない。けれども実際、有効な手段などないに等しい話である。
 さらにまた、本来こういう場には部署を統括する立場の松崎警部が出席すべきところ、なんのかんのと理由をつけては部下をやってごまかしている。脇田は腹が立ってしかたがなかった。

 警視庁幹部からしごく当然のことを聞かされて会議が終わり、地方からの出席者は、距離によって泊まりと日帰り組に分かれるもの。脇田と田村は神奈川だから在来線で充分だったが、別件で警視庁に残っていて遅くなり、そのとき偶然、東京駅の新幹線乗り場のそばを歩いていた。会議から三時間ほど後のことだった。
「脇田さんすよね?」
「ああ、はい。大阪の?」
「そうすそうす。ついでにスカイツリーを見て来たんすが・・うんうん。あははは。別にめずらしくもないんですがね、たかが鉄塔さ、あははは!」
 サボリとまでは言えないものの出張に付属する役得のようなもの。脇田も大阪あたりへ出張すると、なんばを歩いてみたりする。

 大阪府警のベテラン警部と連れの若い女性巡査。未成年の性犯罪ということで歳の近い若者を連れて来たいものなのか。そう言えば各地の警察ともベテランと若手がペアでやってきていた。脇田も田村を連れている。
 その警部は名を田村と言い、こちらの田村と名刺を交わして笑っていた。
 連れの女性巡査は、よりにもよって松崎・・これには二人ともニヤリと笑う。
「じつは泊まりのはずだったんすが、急用ありきでホテルはキャンセル。トホホのホーすわ、あははは!」
 面白い男。大阪のはずが言葉にそれを感じない。学生時代は東京の大学で妻とも東京で知り合ったと言う。歳は四十四歳。背が高く顔立ちが整っている。
「ほんでまぁ、これから新幹線なんすがね、急なことで待ち時間ができてまう。連れは美女巡査ということで、これはアカン、どないしよと言うわけで」
 連れの巡査が困ったような顔をする。このアホ・・と顔に書いてある。
 お茶でもと警部の田村が誘い、脇田はうなずく。
「これはまさにちょうどよい」
「はい? ちょうどいいとは?」
「僕と脇田さん、若い者は若い者同士・・歳がぴったり・・うははは!」
「・・もう警部・・嫌やわぁ・・」
 松崎は語尾のソフトな大阪言葉。上司と部下の凸凹コンビが漫才のようだった。

 駅構内のカフェへと入る。話してみると田村警部はキレる男。力があるからふざけている。人当たりはよくて仕事ができる。モテるタイプの人物だろう。
「じつはいろいろありましてね・・頭を抱えておるんです」
「それはどういう?」
「まあ、いずれわかることですから言いますが、アメリカなんすよ。西海岸で日本娘の変死体が出たんです。恐ろしいほどの美女らしいんすが、体にかなりな傷がある。SMですわね」
「SM・・」
「おそらくね。それがまた大阪娘なんですわ。ウチの方から出向きまして、その検屍の結果に唖然です。体は女性でも子宮がない。性転換美女だった。歳は二十二歳なんすがね、そのDNAから、捜索願が出ていた大阪の大学生だと判明した。失踪です。当時の歳は十八でした。そんなことで我々としても注目せざるを得ませんので。当時未成年ということです」
「性転換・・それは日本で? それともアメリカで?」
「現地警察の捜査によると娘は女性として入国している。向こうで手術を受けた形跡もないことから日本で生まれ変わってアメリカに渡った・・いまのところそれしかわかっておりません。身元も不明のまま偽のパスポートで渡米している」
「それはつまり・・本人の意思ではない?」
 と、若い田村が問うた。
「常識的にはそうでしょう。ごく普通の学生だったものが、数百万にもおよぶ高額な手術費用をどうやって捻出したのか・・さらにどうやって偽装パスポートを手に入れたのか」

 なんとなく・・いいや直感として、脇田は背筋に寒いものを感じていた。
 あのとき白き館にいた五人の娘らは皆、女としては背が高く、体のラインがスレンダー。可愛いタイプの男の子に女装させればあんな感じになるのだろう。
 少女の捜索願いを追っていても行き着けない。常識的に男の子の捜索願いをはじいて考えていた・・。

 脇田が警視庁での会議から解放された午後三時頃・・樹林の白き館では・・。

 五人いた娘たちは、うち三人が館を出て行き、二人が残り、新たに『ケイ』という娘が加わって、娘たち三人が暮らすようになっていた。
 猛烈な雨でぬかるんだ道筋は乾いていたが、森の土は大量の雨水を含んでいる。夏の陽射しが蒸れるような森をつくる。
 館の前のガーデンで、白のロングドレスに身をつつんだ美しい娘二人がくつろいでいた。真紅のドレスでエリーが現れ、娘らに歩み寄りつつガーデンを見渡して、ケイがいないことに眼差しを厳しくした。
 そして、ちょうどそのとき館から村木が小走りに駆け寄った。
 エリーが問う。
「ケイは?」
「はい、私もたったいまそれに気づいて部屋を見て来たのですが、ケイがいません」

 エリーは深くため息をついて言う。
「私のエビルアイがきかないなんて・・そういう体質なんでしょうけれど・・」
 そしてエリーは、ピュイと口笛を吹く。
 ソクラテスとナポレオン、二匹のドーベルマンが猛然と駆け寄って来る。
 エリーは森へと手で指し示し、犬たちに言う。
「お行き! おとなしくしないようなら殺しておしまい!」
 二匹の黒い影が、唯一の道筋へ向かって駆け去って行く。

「馬鹿な子ね・・せっかく可愛い女の子にしてあげたのに・・出荷できる花嫁とはならなかった・・」

 駆け去って行く犬たちに視線をやりながら、村木が不安そうな顔をする。
 そんな村木の様子に、エリーは微笑んで村木の肩を抱いてやる。
「大丈夫よ、おまえの医師免許は日本のものではありませんし、ママの奴隷として歩んだ人生は捜査したって暴かれるものじゃない。この世から消えた男なんですものね」
 それからエリーは、おとなしく残った二人の娘に微笑んだ。
「おまえたちはいい子ね・・もうすぐよ・・もうすぐ運命のご主人様に嫁いで行けるわ・・さあ地下に降りなさい。嬉しい嬉しい調教です、狂うまでのアクメを楽しむがいい・・うふふ」
 娘二人は、エリーに見据えられて眼差しが溶けていた。

 歩み去る娘二人の背を見送ってエリーは言う。
「おまえもよ村木、迂闊にもケイを逃がした。お仕置きです」
「・・はいモイラ様・・お心のままに・・ふふふ」

 村木を見据えるモイラのエビルアイ・・宝石のように澄み切った瞳に見つめられ、村木の老いた眼差しがとろりと溶けていくようだった・・。

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