2016年11月12日

ポエム(終話)


愛撫だけで女体がふわりと浮くような快楽の中で、彼のトランクスを
脱がせてあげます。愛撫のときから私の肌に触れていた・・・それも
また彼らしい穏やかな欲情です。
若い頃の猛りではない、やさしさのある勃起と・・・そして・・・。

力をなくしていく哀れを表すような彼の体がいとおしく、ペニスに
口づけをし、含んであげて・・・そのときに、陰毛の中にちらほら混じる
白い糸が目について・・・。
若く見えてもこの人は若くないと実感できて・・・だもだから、加齢という
どうしようもないものを、彼となら共有できそうな気持ちになれて・・・。
私は彼にますます惹かれていったのでした。
女の老いは、まず性的魅力の崩れであり、男のそれとは違います。
男性は・・・歳とともに魅力は増して、なのに機能が老いていく・・・。

柔らかさのあるやさしいペニスが私の中に入ってきます・・・。

快楽に、知らず知らず女体がリキムと、抜けそうになってしまう
弱い彼・・・年齢だけではないかも知れませんが、彼のすべてが
穏やかで、やさしい人のように思えてしまう・・・。
「ぁぁ・・・素敵・・・気持ちいい・・・」
「うむ・・・気持ちいいよ・・・エリ」
素直な悦びの声を聞きながら、果てていく私です・・・。
旅館にスキンなどありません。射精の予兆に抜かれたペニスを
夢見心地にほおばって・・・私の中でイカせてあげる・・・。
吐き出すなんてできません・・・喉奥にまつわりつく精液です。

後はもう・・・ずっとずっと抱き合ったまま・・・。
よけいなことは言わず、よけいなことは訊かず・・・ゆきずりの夜に
深く満たされた私です・・・。

「もう少し強ければ・・・ふふふ・・・情けない・・・」
「ううん・・・いいの・・・あなたはあなたでいいの・・・好きよ」
「うむ・・・」

私から離れていく彼の背が哀しそうで・・・すがりついた私です。

「私だって・・・崩れていくの・・・」
「いいや、君は若いさ・・・綺麗だよ・・・」
「嬉しい・・・」

贅肉のない彼ですが、それでも若者の肌の張りではありません。
けれど・・・若さが持たない慈愛がある・・・それがすべて・・・。
「お部屋無駄になっちゃうけど、こっちで寝て」
「うむ」
それでまた、そっと抱いてくれるのです。性器の接触ほど浅くない
抱擁でした。
「ずっと独り? 奥様が亡くなられてから・・・」
「そう。 まあ娘がいたからね・・・いまはもう嫁いだが・・・」

宗田さんは会社員・・・出身が熊本で東京に本社のある会社の静岡
支社に勤めている・・・そんなことさえ、抱かれてから知った私です。
夢のような二日・・・いいえ二夜が過ぎていきました・・・。


夫がいて子供がいて・・・なのに哀しい生活に戻っていました・・・。

九月の終わり・・・風が冷えてきています。
その日は平日の水曜日、お昼前の明るい寝室で、お布団を干そうと
していたときでした。
携帯にメールです。あれからときどき文字で彼とは話していました。

 いま電話できる?

 うん! いいよ!

それだけの電波の往復・・・直後に電話は鳴りました。

「いま東京だよ」
「あら! うふふっ・・・お仕事?」
「うむ。出張だが、いま終わった。帰りに横浜に寄ろうと思う。会える
かな?」
「うん!」

二ヶ月ぶりの再会です。会えると思っただけで、あの夜のことが思い
出されて、嬉しくて・・・。
でもここは地元です。私は着るものもお化粧もまったく普通に、下着
だけ、あのときの上下に着替えて出たのです。
逢って何をするわけでなく、それはもちろんわかっていても、あのとき
の二人に戻れるような気になって・・・。
駅で会い、新幹線の時刻までお茶でもしながら話すだけ・・・それから
また私は独り・・・と寂しくなって・・・そうしたら・・・。

「転勤? 東京へ?」
「そうそう。九月の移動で話があって、向こうでちょっとやることが
あったものだから今日まで延びてた」
「逢えるね!」
「逢えるどころか、住まいを横浜界隈にしようと思って」
「えー! 場所は?」
「いや、それはこれから。今日は戻るけど、来週また泊まりで出て
きて探すつもりだ。それで今日逢いたかった。エリちゃんにとって、
どのへんが都合がいいのか。近すぎると・・・ね」
「うん、わかった、考えてみる。それで来週の泊まりって横浜なの?」
「もちろん。移動の準備でね、二泊の間に住まいを決めないと。
来週ホテルで逢おう」

夢の続きが・・・このとき私・・・彼の住まいに密かに通う自分の姿が
想像できて、高ぶっていたのです。
見た目はいつもの私のままで・・・可愛い下着の女だろうと・・・。

チクリとした痛みを感じていながら・・・。


 おとぎの国に棲んでいる
 お人形はいい子です。
 操られ 裸になって
 きっとお尻も振り立てて
 淫らに濡らすいい子です。

 お家の中でもいい子です
 そ知らぬ顔で主婦してる・・・。

ポエム(三話)


この私が・・・四十一歳・・・充分に良識ある女だと自分では思って
るこの私が・・・宗田という男性に魂を抜かれてしまうとは。
子供の歳を取り違え、大笑いされた後・・・彼が言う・・・。
「せっかくだから遊んでみるかい?」
「え?」
そしたら彼・・・彼の両手が私の手に伸びてきて・・・手首のところで
何やら紐を縛る素振りをし・・・左の手首、右の手首と・・・。
それから頭の上でも同じことをされ・・・正座を横に崩して座る
足の側に回り込み、両足首にも見えない何かを縛られて・・・。
座卓の上に座ってしまって、にっこり笑って言うのです・・・。

「さあ、ここはおとぎの国だよ」
「な、何? ふふふ・・・」
「これで君は操り人形・・・決して僕には逆らえない」
そんなことを言いながら、右手を開いて突きだして、開いた五本の
指を、マリオネットを操る道具みたいにひらひらさせて・・・。
「あら不思議・・・こうすると座ってられずに立ってしまう・・・」
何が何だか・・・なぜか私、立ち上がっていたのです。
座卓とお布団の間の畳の上でした。

「そうそう、いい子いい子のお人形は逆らえない・・・ふふふ・・・」
「ど、どうするの? うふふっ!」
楽しそうな彼につられて笑う私です・・・。
「ほうらほうら、こうやって手を振ると・・・不思議に帯を解いて
しまうお人形・・・ほうらほうら・・・帯を解く・・・」
なぜ・・・私の手が帯にかかり・・・。
「スルスルって帯を解く・・・」
浴衣の帯がはらりと畳に垂れて、落ちてしまって・・・。

「そしたら次に、こうすると・・・浴衣をはだけたくなってきて、
前を開けて・・・肩を見せて・・・脱いでしまう・・・」
そんな・・・ああそんな・・・でも手が動いてしまう・・・。
藤色の浴衣がすとんと畳に丸まって・・・。
「可愛い下着だ・・・ブルーのブラジャー、ブルーのパンティ。
はずかしくてたまらなく、ほうらこうすると、片手で胸を
片手でアソコを隠してしまう・・・」
乳房を覆い・・・腿を閉じたデルタの上を手で覆い・・・。

「ところがところがこうすると、いい子いい子のお人形は、
ブラだって外してしまう・・・ほうらほうら・・・お人形は逆らえない。
裸になってしまうんだ・・・ふふふ・・・」
ひらひらする彼の右手・・・私の両手が背に回り、ブラの
ホックをはずしてしまう・・・どうして・・・ねえ・・・。
「こぼれるブラを両手に抱いて・・・ストラップを肩から抜いて・・・
ほうらほうら・・・綺麗な乳房が見えてきた・・・ぽつんと尖る
可愛い乳首・・・綺麗なヌード・・・」
ああイヤ・・・恥ずかしい・・・イヤ・・・でも、どうして・・・。
ブラがすとんと畳の上に落ちるのです・・・。

「白くて綺麗な女性です・・・お人形は恥ずかしく・・・
感じてしまって震えています・・・膝がわなわな震えています・・・」
ああそんな・・・震えてる・・・体がゾクゾク震えているの!
「お人形は感じています・・・恥ずかしくて感じています・・・
体がくねくねエッチです・・・両手で乳房を抱き締めて、
その場でくるりと回ります・・・」
恥ずかしい・・・恥ずかしくて後ろを向いてしまうのでした・・・。
「ほうらほうら、可愛いヒップ・・・青い布がくるんでいますが、
お人形はいい子です・・・とっても素直ないい子なので・・・
指先がパンティにかかります・・・果物の皮を剥くように、
パンティを脱いでいく・・・ほうらほうら脱いでいく・・・」

私の手がパンティにかかります・・・。

「でもやっぱり恥ずかしく・・・これだけは脱がせてほしいと
思います。お人形はこちらを向いて・・・」
言われるまま・・・操られるままに振り向くと・・・そのとき彼に
すぽんと抱かれた・・・いつの間に立ってたの・・・彼の胸に
すぽんと抱かれ・・・耳許で・・・。
「お人形はいい子です・・・可愛い可愛い女の子・・・」
「そ、宗田さん・・・」
「エリちゃん・・・」
そのままそっと・・・お布団に崩れていった二人です・・・。

「素敵な人だ」
「ほんと?」
「うむ・・・可愛い・・・可愛いよ」
「うん・・・」

なんてやさしい抱擁でしょう・・・綿雲にくるまれるように
私は抱かれ・・・キスを受け・・・舌が舌にまつわりついて・・・。
乳房をくるまれ・・・そっと揉まれ・・・乳首をつまんで愛撫され、
そうされながら片方の乳首を口に含まれ・・・。
「ぁぁ・・・ぁぁん・・・」
「エリちゃん・・・」
性の波がざわめきながら全身を駆けめぐり・・・パンティに手が
かかり、私はお尻を浮かせて脱がせてもらい・・・。

熱いキスが這ってきて・・・降りていき・・・膝裏から這い上がる
彼の手が・・・温かい彼の手が・・・腿の裏から・・・お尻の谷へ・・・。
「あっ!」
「やさしいね・・・やさしいアソコだ・・・濡れている・・・」
クレバスを指先でひろげるように・・・濡れるラビアがお花みたいに
ぱっくり咲いて・・・クリトリスが愛撫され・・・おなかから這い降りた
唇が・・・少し濃い草の丘を越えて谷底へ落ちていく・・・。
「ああん! ああん!」
大きく開いた性のエリアに沈む頭をわしづかみ・・・私・・・腰を
上げて上を向いてアソコを咲かせ、彼の頭を押しつけてる・・・。

濡れている・・・おびただしいヌメリです・・・。

彼の舌が差し込まれ・・・体の横から上に伸びた両手で乳房を
揉みしだかれて・・・乳首をつままれ・・・。
「ぁうん・・・んふっ・・・ぁはぁん!」
「エリ」
「ああ、感じるぅ・・・いいの・・・感じるぅ・・・ねえ! 感じるぅ!」
「エリが好きだ・・・」
「はい・・・嬉しい・・・はい! ・・・ああぁーっ!」
すぼませて尖らせた口先がクリトリスに吸いついて・・・包皮を
剥き上げ・・・吸い伸ばされて・・・。

「はっ! はっ! はっ! ぁはぁぁーっ! いいのぅ!」
私の女体が軋みをあげて反り返り・・・恥ずかしい性蜜を溢れ
させてしまうのでした・・・私はいま女です。

ポエム(二話)


でも・・・石段を下るほど、とんとん拍子に運ぶとは思いません。
帰り道、ワンちゃんのことばかりをおっしゃる彼に、私は笑い、
石段を降りきったところで右と左に別れてしまった・・・。
そのときも彼は・・・。
「ああ神様・・・」 と言って大げさに天を仰ぎ・・・。
「どうか、もう一度逢わせていただきたい・・・秋口になる前に・・・
夏のうちに・・・ふふふ・・・」
可笑しくなって笑ってしまった。彼、会話のエスプリを愉しんで
おいでのようで・・・とそう思うと、私を褒めてくださった言葉も
軽く感じられ、私はむしろ気が楽になっていた・・・。

そのまま私は宿に戻り、夕食までの時間を、なんとなく
あたたかな想いを胸に過ごすことができたのです。
宗田さんのワンちゃん、きっと可愛かったんだろうとか、
奥様・・・若くして可哀想とか・・・いずれにしても、
それまでの私になかった、宗田という記憶の棚ができていた・・・。

夫が夏休みの子供を連れて帰郷して、空いた時間を
振り向けた主婦の旅・・・名もない小さな旅館です。
ドラマではありません。それでも、こんなところでまさかと、
少しの想いを胸に持ち、食堂となる広間を覗いた私です。
広い広い畳のお部屋・・・居並ぶ座卓が衝立で仕切られるだけ。
宿に戻って藤色の浴衣でいた私は、深緑のちゃんちゃんこを
羽織っていました。食堂は混んでいます。独り旅から
家族の旅まで、この宿のちょうどいいお値段が人気のようです。

座に着いて、最初のお皿・・・肉魚野菜とさまざま少しずつのった
オードブルのような・・・そしてお箸を手にしたときでした。
「嘘でしょう」
座卓の前で声がして、男浴衣の宗田さんが立っておられ・・・。
「ああ!」
「神様に感謝です、夏のうちに再会できた・・・はっはっはっ!」
宿の人に来てもらい、二つの食卓がひとつになって・・・。
運命を感じます・・・浴衣の内側はブラとパンティ・・・。
心が高鳴って食事どころではありません・・・。
「僕は真(まこと)。真実のシンです」
「わ、私・・・エリです・・・カタカナで・・・」
「うんうん、さあ食べましょう、旨そうだ!」

お食事に本来なら付いていないワインが運ばれ、お酒に弱い
私は頬が熱く・・・やさしく見つめてくれる彼の視線と一緒に
なって、体が火照っていたのです。
ぼーっとする意識の中でいつの間にかお食事が済んでいて、
それから二人で宿の裏の庭に出て夕涼み・・・竹でできた
ベンチです。京都の小高い丘にある旅館らしく、闇の中に
木々のシルエットが浮かんでいます。 でもあまり涼しくありません。
酔いが・・・お話も上の空で、時間が経つにつれて回ってきて。
すぐ隣に彼がいて・・・私はクラクラしています・・・。

「ふふふ・・・真っ赤だ・・・弱いんですね?」
「お酒は苦手・・・」
「それはどうも・・・ごめん、飲ませちゃったね」
「いいえ・・・」

そして・・・すっと伸ばされた腕に吸い込まれていくように、
肩を抱かれ・・・彼の体にもたれていたの・・・
「大丈夫?」
「ええ」
「部屋に戻る?」
「そうね・・・でも・・・イヤ・・・」
「え?」
「このままがいい」
酔いのせいではありません・・・ワイングラスにほんの半分・・・。
私の存在のすべてを許されたような心持ち・・・心が溶けて・・・。
私を抱く腕にやさしい力が込められて・・・私が自然に横を向き、
唇が重なりました・・・。

私のお部屋は二階です。彼のお部屋も二階ですが棟が違う。
食堂を間にして、あっちとこっち。増築した造りなのでしょう。
お部屋に入って・・・彼は私を窓際の籐の椅子に座らせて、
お布団を敷いてくれ・・・それを私・・・手伝うことはできるのに、
任せてしまって見ています・・・。
マットレスを敷き、敷き布団を上にのべ・・・真っ白でアイロン目
のあるシーツを延ばし・・・頭の側を折り込んで、下にまわって
足の側をきっちり折り込み、それから両横・・・シーツに
シワひとつない綺麗な敷き方・・・枕を置いて薄い掛け布団を
置いてくれ・・・この人、ちゃらんぽらんな人じゃない・・・。

「いいよ」
「うん、ありがとう・・・あの・・・」
「うん?」
「お水ほしい」
「ふふふ・・・わかった、寝てなさい」
「はい・・・」
五十四歳なら十三上・・・私はすっかり頼ってしまい・・・。

ガラスのポットに氷を浮かべ、彼が運んでくれました・・・。
体を起こしてグラスを渡され・・・。
「美味しい」
「うんうん」
「宗田さん・・・十三上ね・・・」
「ふふふ・・・若く見える」
「ええ、とっても」
「違うよ、僕じゃなくてエリちゃんが・・・」
「そ、そうかしら・・・うふふっ・・・」
エリちゃん・・・呼ばれて苦しく・・・荒くなる息を殺しています。

「もう寝る?」
「ううん、まだ・・・冷たいお水飲んだら楽になった・・・」
「そうか、よかった」
「起きる」
「うむ」
お布団を離れた私は、座卓の下座に座布団を敷き・・・そしたら
彼が、よそ見している間に座ってしまい・・・違うのに・・・そこ
じゃないのに・・・上座に座ってほしかった・・・。

「エリちゃん、何泊?」
「二泊よ。主人と子供が田舎に行ってて」
「なるほど・・・夏休みか子供たちは」
「うん」
「それで独り旅?」
私・・・上座にはつきたくなくて、下座の・・・彼のそばに
座布団を持ってきて座ったのです。
「そ、独り旅。夏休みの間中子供のお守りじゃ疲れちゃう」
「いくつ?」
「四十一です」
「あー? ふっふっふっ! 違う違う、子供の歳さ」
「あ・・・」
「はっはっはっ! 楽しい人だ、はっはっはっ!」
どうしよう・・・浮かれています・・・私が女になっている。

ポエム(一話)


 夢見ることを禁じられたら女はひどく哀しくなります。

 思春期の夢・・・溌剌と生きた未婚の頃の夢・・・そして

 結ばれて新居を構え、それこそ夢見心地だった夢・・・。

 けれどいま、見たくてなかなか見られない、恋という夢・・・。


夕刻までにはまだ少し間のある時刻、蝉しぐれと言うには耳につく
石段沿いの森でした。
ブゥゥ・・ゥウウーン!
「きゃっ!」
耳許をかすめた何かの羽音に私はよろめいてしまったのです。
古刹の石段は自然の石で造られて、都会の平坦に慣れた
パンプスでは足許がおぼつかない・・・そのときでした。
ふらついて踵が崩れ、危うく倒れそうになった私の腰を、
後ろから強い手が支えてくれた。胸裏がどきんと鳴って振り向くと、
落ち着いた背広姿の男性が立っておられ・・・。

「やられましたね・・・エッチな蝉だ・・・はっはっはっ!」
「蝉?」
「クマ蝉ですよ。かつてこの辺には、少しは声量をわきまえた
蝉がいたのですが、体の大きなクマ蝉にすっかり駆逐されて
しまいましてね」
「は、はぁ・・・」
「それでこれです。うるさくてしかたがない。しかし・・・」
「はい?」
その男性・・・若く見えても五十年輩か・・・穏やかな口調であたりを
見回し・・・ちょっと笑っておっしゃるの・・・。
「いまの蝉ね」
「ええ?」
「ありゃ男だ・・・いい女を見分けて意地悪している・・・」
悪戯っぽい目が少しもいやらしく感じない清潔感ある方で・・・。
いい女・・・見え透いた言葉でしょうが、
このとき私、ちょっとはドキドキしてしまい・・・。

「ご旅行ですか?」
「はい」
「東京かな?」
「いえ、横浜から」
「ああ、なるほど・・・横浜もいいところだ。僕は一度だけ行った
ことがありますが、あそこは時代をまたいで存在している」
「え、ええ・・・」
「日本丸を見ましたよ。泊まったホテルのすぐそばで」
「そうですの・・・」
「ええ。あの船は・・・」と言いかけて、ハッとしたように石段の
下から私を見上げ・・・目をまっすぐ見つめてくれて・・・。

「あ、いかんいかん、こりゃいかん・・・どうも美人に弱くていかん。
はっはっはっ! 申し遅れました、僕は宗田と言います。
僕も旅なんですが、静岡ですよ。勝手に話し込んでしまいました」
とおっしゃられ、ひょこりと頭を下げられる・・・。
「いいえ、かまいませんのよ、どうせ独りの旅ですし・・・私は秋口と
申します」
「秋口さん・・・夏なのに?」
「はい?」
「・・・おやじギャグです・・・はっはっはっ!」
「まっ・・・うふふっ!」

それからなんとなく・・・というより、もちろん二人とも石段を登って
いたわけですから、揃って歩く形になります。
それにしても、どうして「どうせ独り旅」などと言ってしまったのか。
「死別しましてね」
「え?」
歩きながら、見ず知らずの私にそんなことを・・・。
「子犬の時からずっと一緒で、以来十三年ですよ」
犬か・・・ああよかったと思ってしまい・・・。
「老いぼれて逝ってしまった・・・」
「可愛がっておいでだったのですね、ワンちゃんのこと」
「それはもう・・・家内と別れたとき以来ですから・・・」
「奥様とも・・・」
「乳ガンです。僕がちょうど四十の年ですか・・・あれからもう
十四年です・・・人生は思うほど長くないと、この頃ちょっと・・・」
「そうですね・・・それは私も感じます」
「あなたが? お若いのに?」
「いいえ、女にとっての歳は年齢だけではありませんから」
「う、うむ・・・」

近しいと言うよりも警戒のない距離を感じ・・・でも話が深くなり
そうな予感もあって、私は戸惑っていたのです。
宗田さん・・・素敵な男性・・・五十四歳・・・でもすごくお若く見える。

連れ立って歩くうちにお寺に着いて・・・古くからある由緒ある
お寺です。ひっそりと、けれど堂々と・・・目につく石という石に
苔の生えた、寂びた風情が見事です。
ここは文化財・・・本堂にも入れるようにしてありますが、人のいる
ところへ入らずに、御堂を回り込んで裏庭へと抜けたのです。

「まあ・・・素敵・・・」
「枯山水です」
「ええ」
「庭のことは?」
「少し」
「そうですか・・・こういうところで多くを喋るべきではない・・・時代を
呼吸して帰りましょう・・・」
そうおっしゃる横顔に、背景の山が切った空があり、傾いていく
火の球が燃えていて・・・。

「ここは・・・」
「はい?」
「家内と旅行で来た寺で・・・」

穏やかな微笑みでした・・・。
想いを遡るようでもあり・・・この方の穏やかな人生を・・・いいえ、
穏やかではなかったかも知れないけれど・・・。
一冊の人生に枯れ葉の栞がはさんであって、私はこのとき、
そのページをほんの少し垣間見た想いがし・・・。

「綺麗です」
「ええ・・・ほんと・・・」
「庭もだが、あなたが・・・」
「・・・」

抱かれる・・・私はこの方に抱かれる・・・穏やかではない予感に
息をのんだ私です。