2019年02月22日

新作レズ官能 追いつめられて

lez520
三話 寂しいドール


 リアルなドールと実態ある美希を見くらべるように交互に視線を往き来させ、カンナは立ち上がりながら言った。
 「美希と美希の抜け殻。どっちがどっちなのか、しばらくお話ししてればいい。私はアトリエでちょっとあるから向こうへ行ってる」
  そう言うとカンナは空になった自分のマグカップを持って赤い部屋を出て行った。取り残された美希と動かない全裸のドール。美希はちょっとため息をつくと肩の力が抜けていた。赤一色の空間にカンナの存在が加わると本能的な不安を感じる。
 「乗り移れば抜け殻か・・お人形になった私を抜け殻の私が見つめている。だけどアレよね、こうして裸でお部屋に一人きり、抱いてくれる人はいない」
  孤独というより空虚の根源はそこだと、このとき美希は思い知る。
  ドールが置かれるのは赤いソファの斜め前。ソファからは少し距離があり、ドールはソファの前に座っている。見たこともなかった赤一色の異様な空間に心が微妙に波立っている。冷静なのだが平静ではいられない。どうしてそんな気分になるのか。このまま座っていても私は変わらない。立ち上がって前へ。赤という色は攻撃色。奮い立っているのかもしれないと美希は思う。

  フロアを離れ、動いてくれないドールと視線を合わせて歩み寄る。穏やかに微笑むドール。雰囲気がカンナに似ているとも思うのだったが、ドールに向かって美希と呼んだカンナの声が残っていて、もしも本気で美希だと思えるなら私はどうなるんだろうと思ったとき、ありきたりな言い方をすれば、どちらかが『もう一人の私』になると思い至る。
  そういうことだったのか。見事な心理トリックね。カンナが仕掛けた罠の巧妙さに苦笑しながら、美希と呼ばれたドールに微笑んだ。
  そっと手をやって乳白の頬に触れ、首筋から肩、二の腕だったり、後ろへ回って背中だったり、ソフトなマネキンを撫でてみる。感触はソフトであっても人の皮膚感はなく、もちろん人体よりも冷えている。
  くびれた腰からヒップ。お尻は若く締まってぷりっと上がる。乳房のサイズはBほどだろう。乳首に浅い色素があって、乳輪までがリアルに再現された大きめの乳首。
  視線を下げると白いおなか、そしてふさふさとした性の草むら。人毛と見まがうほどの質感があり、けれどその奥へは視線をなげない。私自身の性器を見るのは苦痛だし、どれほどリアルに存在しても永遠に男を受け入れることはない女性自身。なんて寂しいドールなの・・と思ったときに、寂しい美希と寂しいドールが重なった。

  寂しさを表に出さず微笑んで、抱いてというように裸で立って、なのに冷えて冷たい体。美希はそっと抱いてみる。女同士で、それも美希と美希が寄り添う姿。お人形になった私を抱いてやりたい。ふとそんな気分になれた美希。
  そしてそのとき、カンナが仕掛ける作為の巧妙さにあらためて愕然とする。
  可哀想な私。私自身のためなら何でもしてあげたいと思う女心は外向きの愛であり、ああ私は愛されているんだとドールが感じてくれるなら、それは私が愛されていることで・・じつに巧妙。そんな想いになれるとしたら、さぞ救われることだろう。
 「寂しいよね・・いい子なのに・・」
  ささやきかけて、そしたらそのとたん涙腺がゆるむような素直な感情が湧き上がってくるのだった。
 「あなたが好きよ、美希ちゃん」

 『嬉しい。私もよ美希ちゃん』

 「え・・」
  声が聞こえた。私の声を確かに聞いたと美希は感じ、少し強く抱いてやる。
 『あったかいな。嬉しくて泣きそうよ』
 「嬉しいの? 私のこと好き?」
 『うん好き。もっと抱いて』
  美希は一度抱擁を解いて眸を見つめ、それからまた抱き締める。リアルな乳房がほどよくつぶれ、背を撫でて腰へと降りて、若く張りつめる尻を撫で、それからはもうたまらなく、ドールを掻き抱き、ドールとなった自分自身を抱いてやる。
 『私もう寂しくない。ねえ美希』
 「なあに?」
 『泣いていい? 寂しかったの。悲しかったの』
 「いいわよ泣いて。ずっと抱いててあげるから」
  どちらがどちらか。堰を切ったように涙があふれ、このとき美希はまざまざと孤独の本質を見せつけられた。
  冷えていたドールに体温が乗り移り、それは心が乗り移っていくようでもあって、ドールの喜びを自分のものとして受け取れるようになっている。女心に充満し、いまにも破裂しそうだった圧力が、ふっと抜けて楽になる。

 「だけど、こういうことを思いつく彼女はすごい。とても勝てない素敵な人」

   と、ドアがノックされて、美希はハッとしてスウェットの袖で涙を拭い、も動かない美希から離れて振り向いた。
 「ちょっとアトリエへ・・あらら泣いてた?」
  眸を赤くする美希に歩み寄り、微笑みかけながら背中をちょっと撫でるカンナ。
 「しっかり抱いてあげた?」
 「はい」
 「ほうらごらん、抱いてくれる人がいる。美希はもう孤独じゃない」
  もうダメ、泣いちゃうと思ったとき、カンナは美希が乗り移ったドールへ歩み、頬を撫で、唇を寄せていってキスをして、それからぎゅっと抱き締める。
  そしてドールの美希を抱きながら背中越しに美希に言った。
 「してあげてもいいのよセラピー。本気になれなければ意味はないけど」
  美希は言葉につまった。
 「まあいいわ、ちょっとアトリエにいらっしゃい。ワックスアートを見せてあげる」
  言いながらドールを離れて振り向くカンナ。
 「私はね、美希をモデルにしたいと思ってる。つまらない女をぶち破るチャンスだわ」
  ますます声が出なくなる。

  アトリエとして使う空間は物件の都合でやや台形ないびつな部屋。八畳相当はあっただろう。床は固いプラスチックタイルの白いフローリング。壁も白。
  そんな空間にキャスターがついた三段あるワゴンが二つ置かれてあって、材料となる顔料や染料、それにコンクリートパネルのような蝋の塊。パレットナイフや様ざまな筆・・そのほか蝋を溶かすためのバーナーと片手鍋のようなものがいくつか置いてあり、まさに芸術家の棲む世界。アトリエには蝋の匂いが染みついている。
 「これが材料よ、蝋燭しか見たことないでしょ?」
 「そうですね、大きな塊なんですね」
 「素材は無色。溶かして色をつけて、垂らしたり筆だったり。温度を上げられれば描くにはいいんだけど相手が女の子では火傷しちゃうし」
 「そのときは筆で?」
 「たぶん垂らす。筆だと温度が高くないとうまくいかない。まさにSMのタラタラよ、あははは。一滴ずつ垂らしては色を重ねて描いていく」
 「モデルさん、泣いちゃう?」
 「さあね、これの融点は50℃ほどなんだけど、ボディアートははじめてのチャレンジだからやってみないとわからないんだ。マゾさん集めたほうがいいかしらって考えた。悶えてくれれば、それはそれで面白い。あははは」
  明るく笑うカンナを見ていて、颯爽とした女の生き様を感じたし、世界の違いに憧れる気分になれる。
 「モデルさんは全裸?」
 「もちろんそうだけど前バリはするでしょうね。そうでないとアソコがもさもさになっちゃうし、それじゃちょっと展示できない。写真ならいいかもだけど」
 「毛を処理させちゃうとか?」
 「ああ、それはもちろん。今日会った二人には剃ってもらうし二人は全裸よ。美希の場合は前バリねって言ってるだけ」
  キラキラと挑むような二つの眸。胸が苦しい。迫られれば断れないと感じたからだ。

  カンナは即答を求めず、蝋のブロックを手鍋に入れてバーナーで溶かしはじめ、赤い色素を加えていってピンクの蝋に変えてしまう。手鍋からかすかに湯気が立ち昇り、むせるような蝋の匂いが発散された。
 「湯気は水分が飛んでるからよ。湯気が消えたら使いどき。融点が低ければ安全ですけど体温で柔らかくなっちゃうでしょ。剥がれてこないか心配なのよ。ストリッパーになっちゃうからね。これでおよそ60℃。固まりだすと膜が張るから、そのへんでタラタラってわけ。こうしてね」
  溶けたピンクの蝋を大きなスプーンですくい、やや傾けて床に置いた白い紙に垂らしていく。ぽたっと飛び散り、ツーっと流れた温度の低い蝋が、先端を丸くして垂らすと同時に固まっていく。
 「相手が紙なら温度を変える。熱ければ薄くひろがり低ければこんな感じで盛り上がる。それで陰影をつくっていくわけ。美希にタラタラ。むふふ、気持ちいいかも・・あははは!」
  あっけらかんと笑いながら尻をパシンと叩かれて、美希はこのとき、なぜかカンナへのガードが崩れていた。ビアンと聞いて魔女的なイメージを持っていたのだったが、繊細な心を持った素敵な女性であったこと。勝手に描いた偶像とのギャップに、むしろ心がほぐれていく。
 「さて美希、手伝ってよ」
 「何をですか?」
 「もう四時じゃない、夕飯の支度。少しはできるんでしょ?」
  鎌倉のカフェにいたとき午前中だったのに、いつのまにか夕刻。
  と思ったとき、アトリエの空間の二方にあるガラスエリアに突如として激しい雨がやってきた。ゲリラ豪雨といった感じ。これには顔を見合わせる。行動を制約する雨が二人をつなぐ気がしていた。

  キッチン。カンナの手際のよさに眸を見張った。突然の来客であるはずが、カンナは冷蔵庫を覗いてあり合わせで作ってしまう。料理には自信のあった美希だったが、四十歳と三十二歳のキャリアの差だけはどうにもならない。
  手際とは下ごしらえで決まるものだし、使った器具を片付けながら進めることが次の作業を早くする。葉物野菜の炒め物を載せたパスタ、卵のサラダと簡単なオニオンスープが見る間にできてく。
 「カンナさん、すごい、お料理上手で」
  見ていて思わず声が出た。
 「作るの好きだし。その代わり後始末が嫌いでね、後のこと頼んだわ。美希だって包丁巧いじゃない、なかなかのものだわよ」
 「それは私も好きですもん」
 「馬鹿な旦那ね、いい奥さん捨てちゃって」
  そう言って笑うカンナの姐御肌。頼もしさを感じる美希。
  パスタが茹で上がってザルにとったのは美希。そのとき横のレンジで炒め物ができあがり載せて完成。大きな皿に盛り付けておいて小分けする。その皿を運ぼうとして美希はあることに気がついた。
 「パソコンはないんですか?」
  サラダをカウンターに上げてスープをよそいながらカンナは言った。
 「寝室よ。静かなところで書きたいものもあるからね」
 「エッセイとか?」
 「小説」
 「へええ小説? すごいんですね」
 「すごくないすごくない、可能性なんてどこにあるか知れないものよ、書いてみてるだけだから。作家なんて天空の人々よ」
 「ジャンルは、どんな?」
 「なもん書いてみないとわからんじゃんか。いまはエッチにはまってるけど。いわゆるR18ってヤツで、もちろんビアン」
  キュンとした。
  バイタリティ? それともタフ? 何もかもが自分と違う。美希はちょっと口惜しくなった。

  リビングのローテーブル。グレーと茶のマーブルカラーのシャギーマットが敷いてあり、二人してフロアに座って食べはじめる。カンナの料理は味もいい。食べながら自分が情けなくなる美希だった。
  美希は言った。
 「カンナさんて、お相手はずっと同性ばかり?」
  話をそちらへ振ってはいけないとわかっていながら、なぜか訊いてしまった。
 「あら、どうして? もちろんそうよ、相手が男という意味ではバージンだから。思春期の頃からドキドキするのは女の子に対してだった。高校生になった頃、絵のサークルに参加して女子大生の先輩と出会ったの。彼女はバイ、ビアンではタチ。泳いでないと死んじゃうような人だった。奔放でね、憧れてるうちにいつの間にかベッドにいたわ」
 「その方とはいまでも?」
 「ううん、何があったのか、ぷいと実家に帰っちゃって、いまでは主婦よ。子供が三人もいるんだよ」
 「実家ってことは近くですよね?」
 「ちょっと違うけど、でもまあ北海道は広いから近くと言えば近くでしょうけど。私は十勝よ」
  一瞬曇ったカンナの面色に、その人と何かがあったのではと考えた。
 「美希はどこ?」
 「金沢です、石川県の」
 「雪国ね、私と同じ。湿った雪と乾いた雪、それが美希とのちょっとした差。だけどどのみち女なわけよ、私も美希も」
  なんとなくだがムードが萎む。カンナはおそらく北海道へと想いが飛んで、美希は上京した頃の自分の姿を思い浮かべた。
  進学で上京。友だちが増えていくにつれて男女が入り混じり、私はどうしてこう内向きなのかとヘコんでいった記憶ばかり。

  流しに立って洗い物。カンナは隣りに立っていて珈琲を支度する。手をのばせば届く距離。カンナの魅力が空気感染しそうな気がする。爽やかな性的そよ風を感じながら洗い物をし、シンクを見たまま美希は言った。
 「憧れちゃうな、カンナさんに」
  隣りのガスレンジで湯が沸いて、ドリップ珈琲を作りながらカンナはちらりと視線を流した。薄いピンクのスウェットにブルーのブラが透けていて、胸が張りつめて若々しい。
  美希は言った。
 「モデルさんなんて、とてもとても。セラピーなんて、怖くてダメ。だけどそれじゃ私は結局変われない。弱気な自分が嫌になります。でもカンナさんの世界には憧れちゃうし、どうにかしないと腐っちゃうよって言ってる自分がいる。どうしていいかわからないの」
 「ふむ・・ついさっき全裸の自分を抱いたでしょ。あの子ならこう言うわ、動けるんだから美希は幸せ・・ってね」
 「ええ、さっきもそう考えました。待ってても誰も抱いてくれない。可哀想な私って考えちゃった」
  笑う息づかいを察しながら美希はカンナがどう言うかに期待した。
 「思うがままに動き出せばいいんだわ。アドバイスなんてない。動かない人に何を言っても意味がないから」

  ただ黙って、洗った食器を水で流す。水が流して消えていく白い泡を見つめていた。

2019年02月21日

新作レズ官能 追いつめられて

lez520
二話 誘惑の密室


  鶴岡八幡宮の横を抜けてひと山越えれば高速イン。東京に向かって走り出してすぐ激しかった雨は落ち着いた。間欠ワイパーで充分なほどの弱い降り。ドライバーに視線を外すゆとりを生んだ。
 「カーウオッシュレインだわ、おかげでピカピカ」
  グレーメタリックの大きなボンネットがキラキラしている。整備された道に出てしまえば思ったり静か。オフロードで食いつくブロックパターンのタイヤのゴォォと響く音も豪快に感じられて心地よかった。
 「美希はクルマには乗らない?」
  美希と名を呼ばれてキュンとする。運転席と助手席の距離感は、揃って同じ向きを見ているということもあってか、先ほどカフェにいたときよりも近く思え、それでいて正対していないから気が楽だった。
  美希はちょっと笑って言った。
 「旦那のに乗ってましたが、いまはもう」
 「それって別れたってこと?」
 「バツイチです」
  カンナは、なるほどねというように眉を上げてうなずいた。どおりで冴えない面色だったわけ。前を見ながらカンナは言った。
 「言葉はないわね、勝手に苦しんでればいいことよ。私を知ってるならわかるでしょうけど結婚がないから離婚もない。その分、気楽にやってるわけよ。わかるでしょ?」
 「それは、はい。私もしばらく男の人はいいかなって・・」
 「男性不信、自信喪失、その次くるのは自暴自棄ってお定まりのパターンがもっともダメよ、しっかりなさい」
  と笑っておきながらカンナはちょっとうなずく素振り。何らかのプランが生まれたようだった。

  ぼんやりとした憧れがきっぱり憧れに変わっていて、このとき美希は、かすかな性的恐怖を感じつつも、このまま憧れ続けていいものか試してみたいと考えた。これまでに知る女たちとどこがどう違うのか。見せかけだけでじつはという女がほとんどだろうと思うからだ。
  しかし言えない。心の半分も明かせない性格が嫌になる。
  カンナは言った。
 「明日から休みよね?」
 「はい」
 「今日はどうして? 平日よ?」
  社員旅行の話をするとカンナは声を上げて笑った。
 「なるほどね、いまだに家族的ムードがいいんだね、この国は。私はまっぴら。気持ちはわかるわ。わかった、じゃあ美希、このままウチにいらっしゃい。私も明日からオフだから」
 「ご自宅にですか?」
 「気楽な場所よ。アトリエであり私にとっては解放区。ビアンの棲み家なんて入ったことないでしょう? いいきっかけになると思うわよ」
  鳥肌の立つような説明できない震え。断れという自分とそうでない自分が交錯している。断れば人生に変化なし、行けばきっと何かが変わる。勢いで行ってみるしかないだろう。きっとそこには憧れの正体があるはずで・・と考えてしまう私がいる。行きたがってる。一度ぐらい外向きになってみよう。
  しかしそれからの車中、話したこと聞いたこと、時間のすべてが右から左へ素通りした。

  六本木。

  というか麻布十番との境のあたりにカンナが住むマンションは位置していた。九階建ての最上階、907号。3LDKの空間なのだがLDKがかなり広く、キッチンもスキのないほど整理された好感の持てる暮らしぶり。こういうところのダメな女はすべてに崩れているもので。
  チャコールグレーフロアの落ち着いた空間だったのだが、まずLDKに大きな額が立てかけられて、やっぱりあったワックスアート。壁にはそれの小さなものがいくつか。ブラックレザーのロングソファ、ロータイプの白いテーブル。テレビはなく、代わりにかなりなオーディオセットが置いてある。一部屋は寝室だから覗かない。一部屋は雑然としたアトリエ。と、そこまではアーティストらしいムードの住まい。
  しかし残る一部屋へ案内されて美希は声を失った。
  壁もフロアも目の覚めるパッションレッド。扉の内側までが赤い。八畳ほどの広さの部屋で、その中に同じく真っ赤なロングソファと、等身大の白い女性の人形・・マネキン? いいやマネキンよりもリアルに、ソフトな素材で作られた全裸のドールが立っていた。
  背丈はちょうどカンナほど。髪はブルーグレーでショート、化粧も見事に整えられて下腹には黒い翳り。女の生々しさをそのままコピーしたようなセクシーリアル。カンナによく似た全裸の女性がそこにいると錯覚させるものだった。

  驚きのあまり声もない美希に向かって、カンナは笑った。
 「どう? リアルでしょ?」
 「ええ、すごく。生きてるみたい」
  呆然と見とれていた。
 「蝋人形じゃないわよ、シリコンゴムでできたもの。ここはある種のセラピーのためのお部屋なの」
  やはり実際にそういうことをしていたのか? 性的な秘め事を?
 「それは催眠術みたいな何か?」
 「違うわよ、私は魔女ではないからね、どちらかと言えば洗脳かしら」
  と、そう言って眉を上げると、カンナは背を押してLDKへと引き戻し、自分は一度寝室へと消えて、ほどなくして生地の薄いピンクのスウェットを手に持って現れた。
 「これに着替えて。気楽にしてていいからね。私もちょっと着替えてくる」
  唖然とするだけで声も出せない美希。カンナの眸をぼーっと見ている。
 「おい起きろ、ぼーっとしちゃって」
 「え・・あ、はいっ」
 「着替えて座ってな。お茶でも淹れるから」
 「はい」
  蛇・・それも妖しい白蛇に睨まれた美希。抗う力を失っていた。

  似たようなライトグリーンのスウェットに着替えて出てきたカンナ。美希は頬が熱くなる思いがした。与えられたスウェットは夏物で生地が薄く、上は半袖だが下はフィットするショートパンツ。カンナのスタイルもそれのライトグリーンであって、下着同士で向き合っている気がしたからだ。
  若干ルーズフィットのアッパーが救いといえば救い。ライトグリーンのカンナに黒いブラと黒いショーツが透けて見え、ピンクの美希に青いブラと青いショーツが透けている。それだけでも異質の人生を体験している心持ちになれている。
  乱れる息を隠そうとするから、無呼吸そのうち荒い息。そんな様子にカンナは笑った。
 「怖いんでしょ? あははは。そうよね、私はビアンでタチにもなれればネコにもなれる。この部屋に二人っきり、下着の透けるスタイル。自信を失ったいまの美希では怖いはず。だけど誤解しないでちょうだいね、私はしごく常識的に生きてるつもりよ。気のない女をどうにかしようとは思わない」
  その気があればすぐにでも・・と言われたような気がしてならない。相手が男であっても女であっても踏み出すのは私の意思。そう思うと同時に、このとき美希は『勝手に苦しんでいればいい』と言われた突き放すような響きを思い出していたのだった。

  オープンキッチンに立ちながら、カンナは言った。
 「時間が解決するって言うけど、すっきりリセットできるとは限らない。ひずみを隠したまま、とりあえず立ち上がったというだけのもの。だから女は同じ過ちを繰り返すし腐ってく」
 「どうすればいいの?」
 「突き進むしかない。飛び込んで溺れれば泳ぐしかなくなって陸で受けた傷にかまってられない。さあ紅茶、できたわよ」
  と言って、キッチンを隔てる白いカウンターにトレイに載せたマグカップが二つ。パウンドケーキの袋が二つ。美希がソファを立ってトレイを持つと、カンナは背後を指差した。
 「BLOOD ROOM」
 「えっえっ?」
 「血の部屋って呼んでるわ。そっちで話そ」
  美希は生唾を飲むような感覚に襲われた。全裸の女を一人加えた女三人の空間。危険。逃げ切れないと感じるから怖くてならない。

  赤い部屋には赤いレザーのソファが置かれるだけでテーブルのようなものはない。内側までが赤い扉を閉めてしまえば赤一色。照明はあたりまえの白色なのだが反射する赤い光が二人の肌を紅潮させる。
  そしてそんな妖しい部屋に、いまにも動き出しそうな全裸のドール。見れば見るほど精巧にできていて、下腹の底に女らしいスリットさえも見えている。
  フロアは冷たいフローリングでもちろんレッド。クッションフロアであったのだが、赤い床に直にトレイを置いて二人で囲んでぺたりと座る。体よりも心が火照っているせいか、冷えたフロアが心地よかった。
 「ヌードにしてやったら、だいたいわかった、美希って子が」
  息がつまって声にもならない。
  カンナはわずかに顎をしゃくって、傍らに立つリアルなヌードへ美希の視線を誘い、そして言った。
 「ドールは美希ちゃん。あなた自身。よくご覧なさい」
 「お人形が私?」
 「そういうこと。裸になってどこも隠さず堂々と立っている。そんなふうに生きていければ女は幸せ。違うかしら?」

  美希は、自分で意識しないうちに『美希』と名づけられたドールを見つめた。
 「セラピーって、そういうことなのよ。裸の自分を客観的には見られない。ドールを自分だと思い、心を移譲させてやると美希の実態は抜け殻でしょ」
 「ああ、そういうこと・・何となくわかる気がします」
 「たいしたことない。美希の苦悩なんて、たいしたことないんだもん。ここにはいろんな女がやってくる。女優もいればモデルそのほか、あるいはすました貌してそのじつって奥様まで。ドールはそのとき心を吸い取り、本人を抜け殻にしてしまう」
 「一度白紙に戻す?」
 「そうよね、そういうこと。で私が、ドールから苦悩を吸い取って、リセットできた心を本人に戻してあげる。リセットできた本人が部屋を出て行く。それでおしまい。ただし、美希が本気で臨まなければ意味がないし、そのとき本気になれないなら苦悩もそんな程度のものだったというわけよ」
  曖昧とだが、わかる気がした。
  けれどもまるで理解できない。

 「ビアンこそ自分本位。我が強く、貪欲で、独占欲のかたまりのようなもの。私にはそこがない。ただいっとき私は血を搾るように相手を愛する。それだけのこと」
 「博愛?」
 「あははは、違う違う、私は女神でもないからね。一人として相手に期待しないというだけ。だから結婚なんてあり得ない。ビアン同士で結婚できる時代であっても、相手を囲った瞬間に、それから以降は苦しくなるだけ」
 「じゃあカンナさんには決まったお相手はいない?」
 「いないと言っておきましょう。私ってね、誰より脆くて弱い存在。そこを知り尽くしているから誰より強く生きられる」
  このとき美希は、カンナの深さというのか、底なしの孤独のようなものを察していた。そしていみじくもカンナは言った。
 「自分と戦ってはダメ。ありのままを受け入れて、それでいいと信じること」
  美希はちょっとうなずいた。それならいますぐにでもできそうな気がしたからだ。
 「だけどそれにはきっかけがいる。それが私のセラピーなのよ。ふふふ、なんてて言ってもわからないでしょうけどね」

 「そこで提案。さっき話したモデルやんない? 画廊に立たされて全裸。だけど水着を着てるようなもの。ありったけの女心を展示すると思えばいい」

  熱のある眸で微笑まれ、美希は萎んで肩を落とした。
  カンナは声を上げて笑う。

 「なんてね、言ってみただけよ、気にしないで。そんなことできるはずがない。常識的にそうだから」

  美希は危うく涙になりそう。内向的な私ではフェンスを崩せそうにない。

新作レズ官能 追いつめられて

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一話 雨の鎌倉


  閉塞する日々から逃れたい。プラス思考のリセットではなく抑圧される日々から脱したい。切望。少し前までそんな思いはあったのだが、いまはそれさえ失せている。
  このままじゃ腐る。せめて気分をリセットしようと、美希は、学生時代に思い出のある街、鎌倉へ行こうと思い立つ。
  九月なかばの金曜日。
  もちろん平日なのだが、今日から土日を含めた三日間、社員旅行で会社はクローズ。四ッ谷にある中堅アパレルメーカー。美希はパートで経理をこなす。 今度の旅行もよろしければと誘われたのだが辞退した。社員との距離感を保っておきたい。離婚して、とりあえずの腰掛け程度。先のことはそのうち考えたいと思っていたし、それよりも社員の中に近づきたくない男がいた。
  美希はいま三十二歳。大手自動車メーカーの総務でOL、二十九歳で職場結婚。けれども昨年、三十一歳で捨てられるように離婚していた。子供を持つ前だったから独身へリセットできればよかったのだが、見定めたはずの愛を失った失望は、美希を閉塞の中へと追いやっていた。

  懐かしい。鎌倉から北鎌倉へ、その逆もあったのだが、ここは学生時代の親友、久美と明江の二人と三人で歩いたものだ。どちらもが卒業を待つように帰郷した。久美は青森、明江は香川。いまではそれぞれ子供を持って幸せに暮らすはず。
  見覚えのある道筋だったから、歩き出してすぐ、来るんじゃなかったと思ってしまう。三人の中で私だけが取り残された。言いようのない口惜しさが充満しだしてため息ばかりが漏れてくる。考えてみれば三人の中で私はいつも追従する側。内向きだったと思うのだ。
  鎌倉駅に着いたとき、空を雲が覆いだし、またたく間に黒雲に変わっていってバラバラ大粒の雨が降り出した。予報では夜になって降るはずだった。九月のなかばで夏空と秋雨がせめぎ合う。もしやと思って折りたたむ傘は持ってきたけど滝のような雨の中では使い物にならない。
  ちょうどそのとき通りすがったカフェに飛び込む。幸い今日はジーンズミニでヒールサンダル。パンツだったらびっしょりだった。降り出したタイミングでカフェを見つけた。入ったとき空席があったのだが緊急避難で満席。美希はタッチの差で窓際に席をとり、ガラスエリアに叩きつけるすさまじい雨を、物想うように見つめていた。

 「お待たせしました、こちらミルクティになります」
 「あ、はい」
  紅茶になれるものならなってみろ。ふとそう考えてハッとして我に返る。
  そうやってミルクティが運ばれて、雨から視線を切って店内をふと見たとき、美希は胸が苦しくなった。
  窓際には二人掛けのテーブル席が四つ並び、すぐ隣りのテーブルにどこかで見たような・・と思ったとたん、その女性の素性が思い浮かぶ。
  小柄でスリム。恥ずかしいほど短い黒のミニスカート、シルバーラメのヒール。アイボリーカラーのタンクトップに生成りのジャケット。特徴的だったのはブルーシルバーに染めたロングソバージュ。彼女はいまだにその髪型。ヘヤースタイルが違っていたら見分けがつかなかったかもしれない。

  存在に気づかれて見つめられる視線に気づいたようで向こうでも眸を上げて見つめてくる。キュンとしながらも美希は眸をそらせなくなっていた。
  相手がちょっと笑う。美希も浅く頭を下げてちょっと笑う。そしてそのとき、満席になっていた店内に新たなカップルの客が来て、その人はそちらに眸を向け、さっと席を立ったのだった。
 「ご一緒によろしいかしら? こういうときは相身互い」
 「あ、あ・・はいどうぞ」
 「ありがとう」
  自分のテーブルを空けて後れてきた二人に席を譲り、美希の前へとやってくる。立ち上がるとほんとに小柄。それでいて女性のスタイルを誇るようだ。

  女は微笑んで眉を上げた。
 「私のこと、ご存じのようよね?」
 「あ、いえ、もしやと思ったもので。カンナさんですよね?」
 「うん、そうよ、だけどもはや知る人ぞ知るって存在かもね。見分けてくれて嬉しいわ」
  神流夏美(かんな・なつみ)、年齢不詳。
  そばで見て、アラフォーあたりかと美希は感じた。

  もともとは溶かしたロウで絵を描くワックスアートで名を出した。しかし当時の画壇から、絵の具をぶちまけて描く手法をロウに置き換えただけということで酷評され、しばらくのうちに表舞台から消えている。
  そんなカンナの作品を美希が最初に見たのは学生時代。表参道であった個展でのこと。小柄ながらスタイルがよく、その頃からヘヤースタイルが変わっていない。画壇の堅物がどう言おうがカンナは作品を描き続け、小さな個展もやっていたし、それよりも後になって、私は同性愛者と告白したし、マネキンよりもずっとリアルな等身大のドールを用いた心理的なセラピー・・はっきり言って性的なセラピーを行うことで一部の人々に支持されるようになっていく。
  奇人、変人、ペテン師、はては変態、陰獣にいたるまで、世の中から酷評されても、逆に平凡を笑い飛ばすように平然と生きている。
  常識的な尺度を逸脱した生粋の芸術家。というより自由奔放を絵に描いた、内向的な私とは対極を生きる人。どこか憧れを感じる女性・・美希はそんなふうに思っていた。
  しかし、こうして面と向かうと怖くなる。悪魔的な性世界へ取り込まれてしまいそうだ。鳥肌の立つ想い。美希の頬は微妙に紅くなっていた。

  カンナはガラスに眸を流した。
 「それにしても凄い降りね」
 「そうですね嵐みたい。カンナさんも雨宿り?」
 「ううん違うよ、モデルのオーディションだったんだ」
 「オーディション?」
 「ワックスアートのボディペインティングと言えばわかるかしら。すぐ近くに古くからの仲間がいてね、このへんの子たちに声をかけてくれたのよ。プロはスレてて使いたくないことと、モデルクラブの方でも恐れおののいてNGなんだ。肌に傷でもつけられると思ってる。SMじゃあるまいし、バカみたい」
  眉を上げて笑うカンナ。美希はこれまで経験したことのないほどハラハラしていた。さっそく淫靡なニュアンスを感じたからだ。
  美希は沈黙を保っていられなく、おそるおそる訊いた。
 「でも溶けた蝋ですよね?」
 「そうよ、もちろん。低温蝋燭だから火傷するほどじゃないし、そのへん私だって考えてるから」
 「それでモデルさんは素人さん?」
 「そういうこと。芸術を志す子なんだもん、そのへん理解してくれてる。二人ともおっけということで」
 「個展のため?」
 「そうそう、原宿の小さな画廊ですけどね」
  だったらモデルは生身で晒される? 想像するだけで心音が乱れてきそう。
 「飲んだら」
 「はい?」
 「冷えちゃうよ」
  美希の目の前にある花柄のティーカップに眸をやって微笑むカンナ。
 「あ・・そうですね、ぼーっとしちゃって」

  そしてカップを手にしたとき、ちょっと震える手元に笑ってカンナは言った。
 「で、あなたは? お寺めぐり?」
  美希は学生時代の思い出を告げて、この雨ではダメだと苦笑した。
 「お名前は? 一方通行じゃ不公平よ」
 「はい、美希です。相原美希」
 「私はジャスト、あなたは?」
  四十ジャスト? 話しぶりからも歳なりのキャリアを感じたものの、ルックスという点でカンナは若い。
 「三十二になります」
 「あら若い。二十代かと思ったのに」
  カンナは微笑み、しかし言った。
 「プチ傷心旅行って感じ? 住まいはどちら?」
 「四ッ谷です」
  見抜かれていると思ったし、見抜けるほど私は弱っているんだろうかとも考える。
 「まあいいわ、立ち入ったこと訊いちゃった、ごめんね」
 「いいえ別に」
 「思い出もこんな嵐じゃしかたがない。クルマすぐ裏。私は六本木、四ッ谷なら遠くないから乗って行く?」
  ご遠慮させていただきますとこのとき言えれば日々に変化は訪れなかった。
  圧されると退いてしまう。情けない癖だと美希は思う。

 「じゃあねマスター、また」
 「おぅ、またな」
  カンナと中年の店主との間を行き来した美希の視線。
 「この店じつは常連なんだよ。さっき話した友だちとは二十年来の付き合いでね、ここへ来ると二人でよく顔を出したんだ。さあ裏よ、行こ」
  立ち上がると自分より小さなカンナに背を押され裏口から外に出る。店の裏手が駐車場になっていて二台停められ、その両方が塞がっていた。一台は軽四輪のワゴン車で、もう一台が巨大なジープタイプの四輪駆動。ボディカラーはダークグレー。カンナはそのジープタイプのクルマに乗り込んだ。小柄でセクシーな彼女のイメージに合わないような、それともぴったり合うような、不思議なミスマッチ。
 「いいわよ乗って」
  駐車場にはトタン屋根。バラバラ叩きつける雨が滝のように流れていたが、助手席側は屋根の下。大きなドアが開けられてもステンレスのステップが高く、ミニスカートでは脚が開かない。はじめて乗る野性的なクルマ。乗り込むとカンナは笑った。
 「まくっちゃえばいいのよバカね、女同士じゃん」
  エンジンスタート。ディーゼル特有の身震いするような振動が大きなボディを震わせた。
 「すごいクルマですね」
 「そう? ランクルよ、知らない?」
 「走ってるのは見たことありますけど乗るのははじめて」
  ヒップポイントが高くて、世の中を見下ろす眸の高さ。トラックに乗り込んだ気分がする。
 「行くわよ」
 「はい」
  アクセルを踏み込むと、まるで戦車が動き出すような重厚感。やはりイメージに合わない。美希は運転に集中するカンナの姿を横目に見ていた。カフェの固い椅子でもスカートは短すぎる。クルマのシートはヒップを沈め、デルタラインぎりぎりまで白い腿を晒してしまう。

 「素敵です、カンナさんて」

  思わず口をついた言葉。思ったままを素直に言った。
 「どうしてそう思う?」
  声はしても視線は前を向いたまま。フルスピードのワイパーが追いつかない激しい雨。美希は言った。
 「だって・・うわっ」
  舗装路のギャップを超えてハードサスが軽い体を跳ね上げた。
 「あっはっは、飛ぶから気をつけないと。柔なクルマじゃないからね」
  豪快に笑うカンナを見ていて思い続けた憧れが決定的なものになっていく。